古代ギリシャ

古代ギリシャとは


古代ギリシアの自由と民主主義という価値、その文化的起源と尊厳がなかったら、ヨーロッパは存在しないだろう。

 

ドイツ社会学者 ウルリッヒ・ベック(1944-2015年)

 

「古代ギリシャ」とは、ギリシャ共和国周辺地域(ペロポネソス半島を中心としたバルカン半島やエーゲ海の島々)で、初めて文明が発生した前30世紀頃から、古代ローマがその地域一帯を支配する前2世紀までの時代のことです。

 

 

古代ギリシャの地理

「古代ギリシャ」というのは、古代において現在のギリシャ共和国を中心に栄えていた文化圏のことですが、今のように「ギリシャ」という単一の国家があったわけではありません。

 

というのも、この地域には、同じギリシャ文化を共有した1000以上もの小規模自治体(日本の県レベルの大きさ)=ポリス(都市国家)が自治独立して並存していただけで、イタリアのローマのように周辺民族やポリスの統合をすすめ領域国家を樹立したわけではなかったのです。

 

「ギリシャ」という国名の単一国家が誕生したのはギリシャ独立戦争後の1832年成立の「ギリシャ王国」が初めてのことで、それまで「ギリシャ」という国は影も形もなかったわけです。

 

古代のギリシャ世界を語る場合、学問的には「古代ギリシア」と呼ぶほうが適切ですが、このサイトではあえて一般に馴染みの深い「古代ギリシャ」という呼び方を採用しています。

 

古代ギリシャの歴史

ポリスの成立

前20世紀に誕生したギリシャ初の文明エーゲ文明は、前12世紀に原因不明の社会変動に見舞われ消滅しています(前1200年のカタストロフ)。

 

その後の400年間の停滞期を経て、前8世紀アテナイ・スパルタを筆頭としたポリス(都市国家)群が栄え、ギリシャ世界は再び政治的・文化的に大いな発展をとげます。

 

ポリスの衰退

ギリシャ世界はポリス成立以降、政治的・文化的に発展し、ヨーロッパ世界の礎を形成しました。しかし国家としてまとまらなかった結果、ポリス間の対立が激化・疲弊していき、ギリシャ世界の発展は前4世紀に頭打ちになります。

 

ポリス同士が争いを繰り広げる中、ギリシャ北方ではマケドニア王国の勃興が始まっており、その影響力拡大にともない、アテナイやスパルタといった強豪ポリスの自治独立すら危ぶまれていきました。

 

しかしそれでも結局最後まで「一つにまとまり外部の敵に対抗する」という道を選ぶことはなく、前338年アテナイ・テーバイ連合軍がマケドニア王国に打倒され(カイロネイアの戦い)、ギリシャ世界の覇権をマケドニアに譲り渡してしまうことに。

 

そして戦後、マケドニア王国を盟主として結成されたコリントス同盟に、スパルタ除く全ポリスが加盟したことで、事実上ほぼ全てのギリシャポリスがマケドニアの支配下に置かれることになるのです。

 

マケドニアによるギリシャ世界統一

なお最初に「ギリシャ人は単一の国家を形成しなかった」と言いましたが、マケドニア王国と他のギリシャポリスは、政治システムこそ違っても、宗教や言語を共有する「ギリシャ人」で構成された国でした。

 

そのためギリシャ世界の全ポリスがマケドニアの支配下に置かれた時点で、マケドニアを盟主とするギリシャ統一国家が樹立されたとする見方もできます。実際「現ギリシャ共和国は古代マケドニア王国の後継国である」と認識するギリシャ人も多いです。

 
ページの先頭へ戻る