古代ローマの歴史

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古代ローマが「内乱の一世紀」に突入した理由とは?

内乱の一世紀とは、共和政ローマ末期の時代区分で、ローマ人同士の抗争が長期的に続いていた時代のことです。紀元前121年のグラックス兄弟の改革失敗から、紀元前27年のアウグストゥスの即位による帝政ローマの成立にまでのほぼ100年間にもおよびました。「内乱の一世紀」に突入した理由前2世紀の末。長期化する戦争や貧富の差拡大によりローマ社会は疲れ切っていました。偏った富の再分配をしようと、様々な改革の構想を...

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古代ローマ帝国が東西に分裂した理由とは?

地中海全域におよぶ広大なローマ帝国領は4世紀半ばに東西に分裂しました。それまで帝国領を治めていたテオドシウス1世(在位379年〜395年)が395年に死に、2人の息子に領土を東西に分担統治させたからです。ローマ分裂後の西の領域を西ローマ帝国、東の領域を東ローマ帝国(もしくはビザンティン帝国)と呼びます。分担統治させた理由とは紀元375年以降、北方のゲルマン民族が大規模な南下移動を始め、ローマ領の国...

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西ローマ帝国が「滅亡」した理由とは?

地中海全域の覇権を確立したローマ帝国ですが、4世紀半ばに東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂し、東ローマ帝国はその後15世紀まで存続したものの、西ローマ帝国は5世紀末にゲルマン民族による滅ぼされています。西ローマの滅亡はヨーロッパ史が「古代」から「中世」に移る重大な転換点となりました。西ローマ帝国が滅ぼされた原因375年頃より北ヨーロッパに原住地をもつ「ゲルマン民族」が、遊牧騎馬民族フン族の圧迫を受け...

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古代ローマはなぜ「軍人皇帝時代」に突入したの?

軍人皇帝時代とは、235〜285年に、帝国各地で軍閥が割拠し、ローマの皇帝位を左右していた混乱の時代です。セウェルス朝最後の皇帝アレクサンデル・セウェルス帝 (在位222〜235)が殺害された後、285年ディオクレティアヌス帝の即位まで50年間続きました。軍人皇帝時代の50年間、共同統治者含め26人の皇帝が帝国各地の軍隊から乱立され、外部からの侵略(ペルシア人やゲルマン人など)や内乱などもあり、無...

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古代ローマで「産業革命」が起きなかった理由とは?

「産業革命」といえば、18世紀以降イギリスから始まった大規模な技術革新と工業化のことですが、戦争や内乱、疫病の流行などでしばしば「暗黒時代」とも表現される中世ならまだしも、ヨーロッパ史上空前の繁栄と平和を謳歌した古代ローマ時代に産業革命が起きる余地はなかったのでしょうか?最大の原因は製鉄技術の不足私たちは未来にいけばいくほど文明は進化すると考えがちですが、「前1200年のカタストロフ」でエーゲ文明...

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古代ローマが繁栄できた3つの理由とは?

イタリア半島中部のテヴェレ川のほとりの小国に過ぎなかったローマが、地中海世界全域を支配する巨大帝国にまで成長。そして前1世紀の末から200年間、パックス・ロマーナと呼ばれるローマ史上最高の平和と繁栄を謳歌しました。ローマがここまで繁栄した理由は様々ですが、とくに重要な点が3つあります。ローマ繁栄の3つの理由1.征服地に自治を認めた征服地の民族の生活様式や宗教を保護し、ある程度の自治も認め、同化を強...

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古代ローマ時代に行われた画期的な軍制改革とは?

前2世紀末のローマは、北方から侵入してくるキンブリ人の対応に手を焼いており、国防力強化が急務でしたノレイアの戦い(紀元前112年)・アラウシオの戦い(紀元前105年)での惨敗、ユグルタ戦争での予想外の苦戦が続き、キンブリ人はアルプスのすぐ向こう側まで迫ってきていたのです。ローマ人の間では、「蛮族」がすぐそばまで来ているという噂から、「Terror Cimbricus (キンブリの恐怖)」という社会...

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古代ローマ時代最大規模の災害とは?

古代ローマ時代の大規模な自然災害として有名なのが、ポンペイ近郊で起こったヴェスヴィオ火山の噴火です。ヴェスヴィオ山は現イタリア・カンパニア州にそびえる火山ですが、紀元79年に大噴火を起こし、麓のポンペイ市を火砕流により埋没させるという大災害を引き起こしています。ポンペイ市は、この噴火の17年前にも激しい地震による被害を受けており、その復興作業に追われる中で追い打ちをかけられる形になりました。噴火に...

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古代ローマ衰退のきっかけ「ゲルマン人大移動」の原因とは?

古代ローマ時代、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンディナヴィア南部地域には、ゲルマン人と呼ばれる民族が居住していました。しかし375年になり、アジア系遊牧騎馬民族フン族の圧力(略奪・虐殺など)により移住を余儀なくされ、逃げるように地中海世界のローマ帝国領へと侵入するようになるのです。大移動の原因はフン族の圧力の他にも、気候変動や人口増加による耕地の確保の為、など複合的な要因であろうと考えられてい...

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東ローマ帝国が「ビザンツ帝国」と呼ばれる理由は?

東ローマ帝国の別名「ビザンツ帝国」とは、前7世紀半ばに、メガラ出身のギリシャ人が、現トルコのイスタンブールに建設した植民市「ビュザンティオン」に由来しています。4世紀に成立した東ローマ帝国は、この地を中心地としていたため、旧称にちなみ「ビザンティン帝国(ビザンツ帝国)」と呼ばれるようになったのです。「ビザンツ帝国」が定着するまでビュザンティオンは古代ギリシャ時代にはペルシアやアテナイの支配を受け、...

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古代ローマと古代エジプトの切っても切れない関係とは?

エジプトの文明開化は、古代ギリシャや古代ローマよりも1000年早く始まりました。むしろ古代ギリシャやローマの繁栄は、エジプトを始めとしオリエント文明圏との交流なしには成しえなかったといえます。ローマとエジプトの交流今も昔も人類の重要な食糧源といえば穀物でした。しかしローマの拠点であるイタリア半島は、全体的に山がちで、乾燥しているので、穀物の栽培には向いていません。そのため自然と、ナイル川の恵みで豊...

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アイルランドに古代ローマの支配が及ばなかった理由とは?

紀元前1世紀頃のアイルランド(古名ヒベルニア)では、前4世紀頃に大陸ヨーロッパからアイルランド島に移住してきたケルト系民族ピクト人(Picts)が幅を利かせていました。ピクト人はケルト民族の一派ですが、実態は彼らが文字を持たなかったためよくわかっていません。体に入墨をしていたことから、ローマ人からは、ラテン語で「彩色された」という意で「picti」と呼ばれていました。ローマ人とピクト人ローマは前1...

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古代ローマの黄金期「パックス・ロマーナ」の特徴とは?

「パックス・ロマーナ」とは「ローマの平和」を意味し、前1世紀末にローマ内戦を収束させ、帝政を成立させたアウグストゥス帝の時代(前27年-)から、五賢帝の時代(180年)まで約200年間続いた平和な時代のことです。パックス・ロマーナの特徴ローマでは、前2世紀の終わりから100年以上も内戦状態にありましたが、最終的にカエサルの意志を継いだアウグストゥスが戦いを勝ち抜き、内戦を終わらせました。アウグスト...

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古代ローマによる「イタリア半島統一」はいつ?

前8世紀に成立したばかりのローマは、ティベリス川のほとりにひっそり存在する小さな都市国家に過ぎませんでした。そんな小国が、領土拡大を続けることで、前1世紀には地中海全域を支配する世界帝国へと成長するわけですが、その重要な足がかりとなったのが「イタリア半島統一」です。イタリア半島を統一する重要性地中海の中心部に大きく突き出たイタリア半島からは、ギリシャ、小アジア、北アフリカ、イベリア半島など地中海世...

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