プラハ(チェコの首都)の歴史
〜「黄金のプラハ」として繁栄〜

チェコの首都は、同国西部ブルダバ川沿岸に位置する都市プラハ(Praha)です。歴史的建築物の多くが保全され、尖塔が多いことから「百塔のプラハ」の別名でも知られています。

 

プラハは「ヨーロッパの音楽学院」と呼ばれ、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で、毎年春にプラハの春国際音楽祭も開催されるなど、音楽の世界では特に目立つ存在となっています。

 

「プラハ」の語源

「プラハ」の語源については諸説あり、定説がありませんが、1つには「敷居」を意味するチェコ語「プラーフ」に由来するというものがあります。

 

プラハの起源と発展史

880年頃のプラハ城建設に起源を持ち、その後、神聖ローマ帝国支配下で大司教座が設置され、大学も建設されるなど、「黄金のプラハ」と呼ばれるほどの文化的繁栄を享受するようになりました。

 

1918年には同年建国のチェコスロバキアの首都となりますが、1939年ナチス・ドイツに占領され、第二次大戦戦後はソ連の強い影響下で全体主義体制に組み込まれていました。1968年「プラハの春」と呼ばれる民主改革路線を進めましたが、ワルシャワ条約軍による軍事介入によって失敗に終わっています。

 

民主化後のプラハ

1989年にビロード革命が起こり、共産党政権が崩壊。続く1993年のチェコスロバキア解体により、チェコ共和国が成立し、プラハは同国の首都となりました。二度の大戦で大きな被害を受けなかったプラハは、音楽を始め伝統文化を背景に発展を続け、現在に至るまで世界有数の文化都市として存在感を放っています。

 

 
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