ヨーロッパ最大の工業地帯「ルール工業地帯」の発展理由

ヨーロッパ最大の工業地帯「ルール工業地帯」の発展理由

ヨーロッパ最大の工業地帯「ルール工業地帯」の発展理由

ドイツ北西部ルール地方にある「ルール工業地帯」はヨーロッパ最大の工業地帯と言われています。ヨーロッパの産業を理解する上で外せない場所なので、その発展理由・歴史的背景について学んでおきましょう。

 

 

ルール工業地帯とはどんな場所?

ルール工業地帯があるルール地方は、ルール川下流域に広がる4435km2もの面積、約600万人の人口を抱えるドイツ屈指の大都市圏です。

 

「ルール炭田」と「ライン川」の水運を背景に、鉄鋼、輸送機械、化学など各種製造業が飛躍的な発展を遂げ、ドイツ有数の工業地帯となりました。近代から戦後しばらくまでドイツの重工業を牽引し、現在も工業地域としてはドイツ最大です。

 

ルール工業地帯の要

ルール炭田

ルール炭田は世界最大の炭田の1つで、石油埋蔵量は約600億トンとされています。ドイツの石炭産出の7割はここから産出されます。

 

ライン川

全長1233kmの川で、そのうち698kmがドイツを流れています。ルール工業地帯はライン川下流に位置しており、ドイツの貨物取り扱いの3分の2はこのライン川の港で行なわれています。

 

貨物列車

オランダ・ロッテルダム港とルール地方を繋ぐ貨物列車「ベートゥヴェルート」は、ドイツにおける物流の要となっています。

 

 

ルール工業地帯の歴史

  • 1298年 石炭の石炭の採掘が始まる。
  • 1893年  「ライン・ヴェストファーレン石炭シンジケート」という、ルール地方一帯の資源協定ができる。
  • 1923年〜1923 フランスが第一次世界大戦の賠償で石炭や鉄による現物支払いを求め、ルール地方を占領。激怒したドイツ国民のストライキで工場が全面停止し、ドイツ経済が破綻状態になる。
  • 1929年 世界恐慌の煽りを受け、失業者が続出。
  • 1936年 ドイツ再軍備宣言で軍需産業に勢いが出て、大量の雇用が生まれる。ヒトラーがルール地方に軍事進駐を強行。
  • 1939年〜 ドイツのポーランド侵攻が引き金となり第二次世界大戦が勃発。ルール工業地帯は米英軍の戦略爆撃の重点的な攻撃目標となる。長期間の攻撃の結果工業機能が完全に麻痺した、
  • 1945年 連合軍によるルール地方の包囲が開始される。ナチスドイツの最後の組織的抵抗で、30万人以上のドイツ兵士が捕虜となった。この包囲戦(ルール・ポケット)を最後にドイツは降伏、終戦を迎える。
  • 1945〜 賠償としてルール地方の工場・施設は西欧諸国の管理下におかれた。
  • 1948年 ルール国際機関が定められ、西欧諸国の管理はあくまで占領中の暫定的なものとされた。
  • 1952年 欧州石炭鉄鋼共同体 (ECSC) が結成され、ルール地方の国際管理が終わる。

 

第二次世界大戦中のルール工業地帯

ルール工業地帯は近代から戦後しばらくまではドイツの重工業の要諦となってきました。第二次世界大戦のナチスドイツの再軍備はルール工業地帯の発展が背景にあります。

 

しかしその為に英米軍による戦略爆撃の重点的な攻撃目標になり、大戦末期には工業機能が停止させられることになります。戦後ナチスが降伏して以降は復興を遂げ、現在も活発な生産活動が行われています。

 

▼1945年連合軍 ドイツルール地方包囲作戦▼

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