デンマークの歴史年表

デンマークの国旗

 

デンマークの国土

 

デンマーク(正式名称:デンマーク王国)は 北ヨーロッパの海を挟んでスウェーデンおよびノルウェー、陸上ではドイツと接する地域 に位置する 立憲君主制国家です。国土は ユラン半島および400以上の周辺の島々で構成され、気候区は 大部分が西岸海洋性気候に属しています。首都は 「商人たちの港」、「北欧のパリ」として知られる コペンハーゲン

 

この国ではとくに 畜産、農業が発達しており、中でも乳製品、豚肉製品の生産がさかんです。また豊富なエネルギー資源を背景にした石油、天然ガス輸出もこの国の基幹産業となっています。

 

そんなデンマーク王国の歴史は、10世紀ごろデンマーク王家の始祖ゴーム王に建設されたユトランド半島のイェリング地域から始まるといえます。デンマーク王国はその後14世紀末にスウェーデン、ノルウェーと、デンマークを盟主にしたカルマル同盟を結成し北欧覇権を築きあげます。しかし16世紀初頭のスウェーデンのカルマル同盟離脱、17世紀の三十年戦争における敗北で覇権時代は終わりを迎えます。19世紀のナポレオン戦争の結果、スウェーデンにノルウェーを奪われ、ほぼ現在の領土になりました。第二次世界大戦では一時ドイツに占領されたものの、ドイツ降伏にともない独立を回復し現在に至る・・・というのがこの国の歴史のおおまかな流れです。ここではそんなデンマーク王国の歴史的歩みをもっと詳しく年表形式で振り返ってみましょう。

 

デンマークの歴史年表

 

古代デンマーク

前1万2000年頃から現在のデンマークがあるユトランド半島に、人類が居住を始めました。紀元前4000年頃には、新石器時代の文化が発展し、農耕や牧畜が始まりました。この時期には巨石文化も見られ、ドルメンやメンヒルなどの遺跡が築かれました。鉄器時代に入ると、ゲルマン系の部族がこの地に住み着き、独自の文化を形成しました。

 

前1500年頃 青銅器文化の伝来

前1500年頃、デンマークに青銅器文化が伝来しました。この時期、青銅器は武器、工具、装飾品などに広く使用され、社会の技術水準が大きく向上しました。青銅器の使用は交易によって広がり、デンマークはヨーロッパ全体の交易ネットワークの一部となりました。特に、精巧な青銅製品や金属加工技術の発展は、地域の社会的・経済的な発展に寄与しました。この時期の遺跡や出土品からは、デンマークが高度な技術と豊かな文化を持つ社会であったことがうかがえます。

 

前500年頃 鉄器文化の伝来

前500年頃には、鉄器文化がデンマークに伝来しました。鉄の使用は、青銅に比べて強度が高く、農具や武器の製造に革新をもたらしました。これにより、農業生産性が向上し、人口増加と社会構造の変化が促進されました。また、鉄器は戦争や防衛にも大きな影響を与え、地域の政治的な変動をもたらしました。鉄器時代の遺跡からは、鉄製の武器や工具、日用品が多く出土しており、この時期のデンマーク社会の高度な技術力と組織力を示しています。

 

4世紀

375年 ゲルマン民族の大移動

ゲルマン民族の大移動が始まり、ゲルマン民族の一派であるデーン人がデンマークの地に到来する。

 

中世デンマーク

現在のデンマークは、中世(8世紀〜11世紀後半)の「バイキング時代」に活躍した、バイキングの1支族デーン人の国で、クヌード大王(在位:1018年-1035年)による北海帝国建設が起源と言われています。クヌード大王の死後、北海帝国は崩壊してしまいましたが、14世紀末、ノルウェー・スウェーデンとの間で、デンマークを盟主としたカルマル同盟が結成されると、北欧全域を支配下におさめるヨーロッパの大国として君臨しました。しかし、カルマル同盟は内部の対立や外部の圧力により16世紀初頭に解体。その後、デンマークは独立国家として存続し、絶対王政の時代を経て、徐々に近代化への道を歩むこととなりました。デンマークは商業と海軍力を強化し、バルト海周辺での影響力を維持しつつ、近代国家としての基盤を築いていきました。

 

8世紀

「ヴァイキング」と呼ばれる海賊が力を持つ「ヴァイキング時代」に突入。デーン人もヴァイキングとして、主にフランク王国が支配する西ヨーロッパ地域一帯を侵略した。

 

9世紀

9世紀には、デンマークにキリスト教が伝わり、徐々に北欧の神々への信仰(北欧神話)が薄れていく。

 

11世紀

1110年代 クヌート2世のイングランド侵攻

デンマーク王クヌート2世がイングランドに侵攻。デンマークからイングランド、ノルウェーにまで版図を広げ北海帝国を築き上げる。しかしクヌート2世の死後すぐに崩壊。

 

1047年 スヴェン2世の即位

スヴェン2世がデンマーク王として即位。彼の治世は、国内の統一と強化が進められた時期であり、スヴェン2世は北欧全体におけるデンマークの影響力を拡大しようと努めた。また、彼はキリスト教の普及を促進し、デンマークの宗教的統一を図った。スヴェン2世の治世中に、デンマークは政治的にも文化的にも発展し、後の歴史における強国としての基盤を築くこととなった。

 

12世紀

 

1157年 ヴァルデマー1世の即位

ヴァルデマー1世が王位につき、王位継承問題で混乱していたデンマーク王国の再建に動き出す。彼は内戦を終結させ、王国の統一を確立し、中央集権的な統治体制を強化した。また、ヴァルデマー1世はデンマークの軍事力を強化し、バルト海周辺の領土拡大を推進した。彼の治世は、デンマークの安定と繁栄を取り戻すための重要な時期であり、後のデンマークの繁栄の基礎を築いた。また、彼の支持のもとで、教会と国家の関係が強化され、キリスト教の影響力が一層高まった。

 

13世紀

 

1241年 ヴァルデマー2世の死去

ヴァルデマー2世の治世のもと、デンマークは安定し勢力を拡大したが、彼の死により再び王位継承問題で揉め混乱の時代に突入した。ヴァルデマー2世は、デンマークの領土を大幅に拡大し、法制度の整備や経済の発展を推進した名君として知られていた。彼の死後、王位継承をめぐる争いが勃発し、国内は再び不安定な状態に陥った。この混乱はデンマークの政治的・経済的な後退を招き、次の安定期までの間、国家は内戦や領土の喪失に苦しむこととなった。

 

14世紀

1340年 ヴァルデマー4世の即位

ヴァルデマー4世が王位につき、デンマークの混乱収拾に努める。見事に国力を回復させ、「アッテルダーク(再興王)」と称された。彼は財政を再建し、領土を回復し、強力な中央集権を確立した。彼の治世は、デンマークの安定と繁栄を取り戻すための重要な時期となり、後の北欧におけるデンマークの支配を強化する基盤を築いた。

 

1380年 オーロフ2世の即位

ヴァルデマー4世の死後、孫のオーロフ2世が王位を継ぐ。この時ノルウェー王位も継承したことで、デンマークとノルウェーの同君連合が形成される。オーロフ2世の治世は短かったが、この同君連合は北欧の政治的統合の第一歩となり、後のカルマル同盟の基礎を築いた。

 

1397年 カルマル同盟の締結

デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3王国間でデンマークを盟主としたカルマル同盟が締結。デンマークは事実上北欧全土を支配下に治めた。この同盟は、女王マルグレーテ1世の指導のもとで成立し、北欧の政治的安定と統一を目指した。同盟により、デンマークの影響力は大いに強化され、北欧地域の統一と繁栄が進められた。しかし、スウェーデンの独立志向や内部の権力争いにより、後に同盟は緩やかな形での統治となり、最終的には1523年にスウェーデンが脱退することで崩壊した。

 

15世紀

 

1448年 オルデンブルク朝の創始

クリストファ3世が死去し、ホルシュタインのオルデンブルク伯がデンマーク王として即位。後にデンマークをヨーロッパ有数の大国にまでのし上げるオレンボー朝が始まる。

 

1460年 スレースヴィ公国とホルシュタイン公国の同君連合成立

スレースヴィ公国とホルシュタイン公国の同君連合が成立。デンマーク王クリスチャン1世が両公国の支配者となり、デンマークと両公国の関係が深まる。この同君連合により、デンマークはドイツ北部との結びつきを強化し、バルト海地域における政治的影響力を拡大した。スレースヴィとホルシュタインは、デンマークの経済や軍事にとって重要な地域となり、デンマークの領土拡大と安定化に寄与した。この同君連合は、19世紀に至るまで続き、デンマークとドイツの関係に長期的な影響を与えることとなった。

 

近世デンマーク

近世デンマーク(16世紀から18世紀)は、カルマル同盟の解体後、独立国家として再編され、絶対王政が確立されました。この時期、デンマークは商業と海軍力を強化し、バルト海周辺での影響力を拡大しました。特に、クリスチャン4世(在位:1588年-1648年)の治世下で、首都コペンハーゲンの発展や経済改革が推進されました。

 

また、デンマークは三十年戦争(1618年-1648年)に参戦し、ドイツ北部での領土拡大を試みましたが、成功しませんでした。17世紀後半にはスウェーデンとの戦争が続き、スコーネ戦争(1675年-1679年)や大北方戦争(1700年-1721年)を経て、デンマークは領土を失うことになりました。

 

18世紀には、啓蒙時代の影響を受けて農業改革や教育制度の整備が進み、社会の近代化が図られました。デンマークはこの時期、海外植民地の獲得にも力を入れ、グリーンランドや西インド諸島などの地域を支配しました。これにより、デンマークは国際的な貿易と影響力を拡大し、ヨーロッパの主要国の一つとして位置づけられるようになりました。

 

16世紀

1523年 ストックホルムの血浴

デンマーク支配に抵抗するスウェーデン人を粛清するが(ストックホルムの血浴)、これが逆に独立運動に火を付けることとなり、カルマル同盟は崩壊。責任を問われデンマーク王クリスチャン2世は廃位に追い込まれ、代わりにフレゼリク1世が擁立された。

 

1525年 宗教改革の始まり

ルター宗教改革の影響が及ぶようになり、ハンス・タウセンによりルター派(プロテスタント)の布教が始まる。

 

1534年 伯爵戦争

フレゼリク1世が死去(1533年)し、クリスチャン2世が復位を目論み伯爵戦争を起こすも、クリスチャン3世に倒される。その後クリスチャン3世はデンマーク王に即位したのち、ルター派を国教とする宗教改革を実施した。

 

1537年 デンマーク=ノルウェーの成立

ノルウェーを完全に支配下に置き、デンマーク=ノルウェーを成立させる。この統合により、ノルウェーはデンマーク王国の一部として統治され、中央集権的な管理が強化された。デンマーク=ノルウェーは政治的、経済的、軍事的に密接な関係を持ち、北欧における強力な連合国家として機能した。この連合は、文化的交流や経済的発展を促進し、両国の繁栄に寄与した。

 

デンマーク=ノルウェーは1814年まで続き、スウェーデン=ノルウェーの連合が成立するまで、北欧の重要な政治勢力として存在し続けました。

 

1559年 フレゼリク2世の即位

クリスチャン3世が死去し、フレゼリク2世が王位につく。フレゼリク2世の治世は、デンマークの国内安定と経済発展が進んだ時期であり、特にバルト海貿易の拡大に力を入れた。また、彼の治世中に宗教改革が進行し、プロテスタント信仰が国内に定着した。フレゼリク2世は外交面でも積極的に活動し、北欧諸国との関係強化に努めた。彼の統治はデンマークの繁栄と安定をもたらし、次のクリスチャン4世の治世に続く重要な基盤を築いた。

 

1563年 北方七年戦争の勃発

フレゼリク2世が、伸張を続けるスウェーデンを脅威とみて、宣戦布告し北方七年戦争を開始する。最終的には「シュテッティンの和約」が結ばれ引き分けとなり、スウェーデン再征服という当初の目的は果たされなかった。

 

1588年 クリスチャン4世の即位

クリスチャン2世の死後、息子のクリスチャン4世が王位を継ぐ。クリスチャン4世の治世はデンマーク=ノルウェーの黄金時代とされ、特に経済的・文化的な発展が顕著であった。彼は積極的に国内外の貿易を推進し、都市の整備や産業の発展を図った。また、科学や芸術の支援にも力を入れ、デンマーク文化の隆盛を支えた。しかし、30年戦争における軍事的失敗は、彼の治世における大きな困難となり、デンマークの国力に打撃を与えた。それでも、クリスチャン4世はデンマークの歴史において重要な王として記憶されている。

 

17世紀

 

1620年 デンマーク初の植民地建設

クリスチャン4世により、インド南岸のトランケバール(現インド・タミルナドゥ州)に、デンマーク初の植民地が建設された。この植民地建設は、デンマークが海外植民地帝国を築く第一歩となり、インド洋地域での貿易活動を拡大するための重要な拠点となった。トランケバールは香辛料、織物などの貿易で栄え、デンマークの経済的繁栄に寄与した。

 

1643年 トルステンソン戦争の勃発

スウェーデンとトルステンソン戦争を起こし敗れる。この戦争は、スウェーデン王グスタフ・アドルフの指揮官レンナート・トルステンソンによって引き起こされ、デンマークは戦争に敗北し、領土と政治的影響力を大きく失った。戦争の結果、デンマークはブレムセブル条約を締結し、スウェーデンに領土を割譲することを余儀なくされた。この敗北はデンマークの国力に深刻な影響を及ぼし、北欧におけるスウェーデンの覇権を確立する一因となった。

 

1657年 カール・グスタフ戦争の勃発

クリスチャン4世の死後フレゼリク3世が即位。スウェーデンとのカール・グスタフ戦争を戦うも敗れ、重要な勢力圏を大幅に消失し、ヨーロッパの小国に没した。この敗北により、デンマークはロスキレ条約を締結し、スウェーデンに大規模な領土を割譲することとなった。

 

1660年 絶対王政の確立

フレゼリク3世は、それまでの選挙王制から世襲王政へと体制を変え、絶対王政を確立した。この改革により、王権は大幅に強化され、貴族の権力を抑制することで、中央集権的な統治体制が整えられた。

 

1683年 デンマーク法の制定

フレゼリク3世の跡を継いだクリスチャン5世の下で、デンマーク法が制定された。この法典は、デンマークの統治と法律の基礎を確立し、近代的な法治国家としての基盤を築く重要な一歩となった。デンマーク法は、行政、司法、社会制度の整備において画期的な役割を果たし、法の下での平等と公正を推進した。

 

1700年 大北方戦争の勃発

大北方戦争が起こり、デンマークは反スウェーデン同盟側として参戦したが、特に戦果は得られず、逆にバルト海の覇権をロシアに握られてしまった。

 

18世紀

1730年 農業改革

クリスチャン6世の時代に深刻な農業危機が発生し、様々な農業改革が行なわれた。農業生産性の向上を目指し、土地の再分配や農業技術の改良が推進された。これにより、農民の生活条件が改善され、デンマークの農業基盤が強化された。また、農村地域のインフラ整備も進められ、農業改革はデンマークの経済全体に対してもプラスの影響をもたらした。この改革は、後の農業発展と安定した食糧供給の基礎を築くこととなった。

 

1772年 反体制のクーデター発生

精神疾患を患っていたクリスチャン7世の代わりに、医者のストルーエンセが摂政となり実権を握る。しかし彼の改革は民衆の大きな反発を呼び、クーデターが発生。ストルーエンセは失脚、処刑された。

 

近代デンマーク

一時はヨーロッパ屈指の勢力圏を築き上げたデンマークですが、激動のヨーロッパ情勢で覇権を維持するのは難しく、16世紀にはスウェーデンが分離、19世紀にはデンマークとノルウェーとの同君連合も解消されたことで、ほぼ今と同じデンマークの領土になりました。一時は北欧全域を支配するほどの力を持っていたデンマークですが、19世紀後半の第二次シュレースビッヒ戦争でプロイセンとオーストリアに敗北し、スカンジナビア半島とシュレースビッヒ公国及びホルシュタイン公国を失ってしまいます。北欧の大国としての地位を失った瞬間でした。

 

以降、デンマークは中立の立場を重視し、戦争にはあまり首をつっこまなくなりました。しかし第二次世界大戦では、中立を表明していたにも関わらず、ドイツに占領されてしまいます。そういった反省もあり、安全保障のための伝統的な中立政策を放棄することを選択し、戦後は北大西洋条約機構(NATO)の創立メンバーとして原加盟国となりました。
このように他の北欧諸国と歩調を合わせたことで、戦後デンマークは順調に経済成長を遂げていきました。今では国民総所得で世界5位と、北欧の先進国として十分な存在感を放っています。

 

19世紀

この時代のデンマークは、相次ぐ戦争で疲弊していた一方で、芸術分野では「デンマーク黄金時代」と呼ばれるほどの繁栄を見せていた。ナポレオン戦争やプロイセンとの戦争によって領土を失い、経済的にも打撃を受けたデンマークであったが、文学、絵画、建築などの分野では多くの優れた作品が生まれ、特に、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(『人魚姫』、『みにくいアヒルの子』、『マッチ売りの少女』等で有名)の童話や、バートル・トルバルセンの彫刻は世界的に有名である。また、この時期にはコペンハーゲン大学や王立美術院の発展も見られ、多くの芸術家や知識人が活躍した。このように、19世紀のデンマークは戦争の苦難を抱えつつも、文化と芸術において輝かしい成果を上げた時代であった。

 

1801年 イギリス軍によるコペンハーゲン攻撃

ナポレオン戦争が始まる。イギリスは武装中立の立場をとるデンマークを脅威とみており、コペンハーゲンを攻撃し、デンマーク海軍を破壊した。

 

1813年 ナポレオン戦争に参戦

デンマークはナポレオン戦争における中立の立場を放棄。フランス勢力として参戦。莫大な戦費を費やし、国家財政が破綻した。

 

1814年 キール条約の締結

イギリス、スウェーデンと、ナポレオン戦争の敗戦国デンマークとの間で、キール条約が結ばれた。この条約で、デンマークはノルウェーを手放すこととなった。

 

1849年 立憲君主制に移行

国内で国民自由主義(ナショナルリベラル)の気運が高まり、1948年革命の後、デンマークは立憲君主国へと体制が移行。成年男子の参政権、報道の自由、結社の自由が認められるなどした。

 

1845年 イギリスにインド植民地を売却

デンマークは、インド南部にあった植民地トランケバールをイギリスに売却。この売却は、デンマークの海外植民地政策の縮小を意味し、インド洋地域におけるイギリスの影響力をさらに強化する結果となった。経済的な困難や維持費用の問題から、デンマークはインド植民地を手放す決断をした。この売却により、デンマークはヨーロッパ内の政策により注力するようになり、国内の経済改革や社会政策に力を入れることとなった。

 

1864年 デンマーク戦争の勃発

第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(デンマーク戦争)の結果、デンマークは肥沃な土地を抱えるシュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国を手放すこととなった。

 

1873年 スカンディナヴィア通貨同盟の締結

デンマークはスウェーデンとの間にスカンディナヴィア通貨同盟を締結。この同盟により、デンマークとスウェーデンは金本位制に基づく共通の通貨単位クローナを導入し、両国間の貿易と経済活動を促進した。スカンディナヴィア通貨同盟は、後にノルウェーも参加することでスカンディナヴィア全域に広がり、地域経済の統合と安定に寄与した。この同盟は、北欧諸国間の経済的協力と相互信頼の強化を象徴するものであり、地域の経済成長と繁栄を支える基盤となった。

 

20世紀

1914年 第一次世界大戦の勃発

第一次世界大戦が勃発するも、デンマークは中立の立場をとる。しかし、想定外に長引く戦争でヨーロッパ全体が疲弊し、デンマークの商業も大きく落ち込んだ。戦争中、デンマークは経済的困難に直面し、国内の資源や食糧の供給が制約された。

 

1915年 デンマークで女性参政権が認められる

1915年、デンマークで女性参政権が認められ、女性も選挙権と被選挙権を持つようになった。この改革は、デンマークの民主主義と男女平等の推進における重要な一歩となり、社会的進展を象徴する出来事となった。

 

1920年 シュレースヴィヒ北部のデンマーク復帰

第一次世界大戦にドイツが敗戦したことで、シュレースヴィヒの北部がデンマークに復帰した。ヴェルサイユ条約に基づく住民投票の結果、シュレースヴィヒ北部の住民はデンマークへの復帰を選択。これにより、デンマークは失われた領土を取り戻し、国境の安定を確保した。

 

1940年 ナチスドイツによる占領

第二次世界大戦が勃発すると、不可侵条約を締結していたナチスドイツに国土を占領される。デンマークは1940年4月9日にドイツ軍の侵攻を受け、短期間の抵抗の後に降伏し、占領下に置かれた。デンマーク政府は、国民の安全を保つためにドイツ軍との協力政策を取ることを余儀なくされたが、国内ではレジスタンス運動が活発化し、ナチス占領に対する抵抗が続いた。この占領は、デンマークの戦時中の苦難とともに、後の独立回復と再建のための闘いを象徴する時期となった。

 

1945年 第二次世界大戦後の復興開始

第二次世界大戦が終結し、ドイツの占領から解放されたデンマークは、戦後の復興に取り組む。経済再建と社会の安定が最優先課題となった。

 

現代デンマーク

現代デンマークの歴史的な歩みは、第二次世界大戦後の復興から始まります。1945年のドイツ占領からの解放後、デンマークは戦後復興に取り組み、1949年にNATOに加盟して冷戦時代の西側陣営の一員となりました。1953年には憲法改正により議会制民主主義が強化され、1973年には欧州共同体(EC、現在のEU)に加盟し、欧州統合に積極的に参加しました。

 

経済面では、福祉国家モデルを採用し、教育、医療、福祉の充実を図りながら、高い生活水準と社会的平等を実現しました。特に再生可能エネルギー分野での先進的な取り組みは注目され、風力エネルギーの利用が進んでいます。

 

国際的には、環境問題や人権保護の分野でリーダーシップを発揮し、持続可能な社会の実現に向けた努力が評価されています。都市計画やデザイン分野でも高い評価を受け、コペンハーゲンは住みやすい都市ランキングで常に上位にランクインしています。

 

1949年 NATO加盟

デンマークは北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、冷戦時代の西側陣営の一員として安全保障体制を強化する。

 

1953年 憲法改正

デンマーク憲法が改正され、議会制民主主義が強化されるとともに、女性の王位継承が可能になる。これにより、民主主義とジェンダー平等が進展。

 

1973年 欧州共同体(EC)加盟

デンマークは欧州共同体(EC、現在の欧州連合、EU)に加盟し、経済・政治的な統合を深め、ヨーロッパとの結びつきを強化する。

 

1989年 ベルリンの壁崩壊

ベルリンの壁崩壊により、冷戦が終結し、デンマークは新たな国際秩序の中での役割を模索し始める。

 

1993年 マーストリヒト条約批准

デンマークはマーストリヒト条約を批准し、欧州連合(EU)のさらなる統合に向けた動きに参加。欧州統合が一層進展する。

 

2000年 ユーロ導入を否決

デンマーク国民は国民投票でユーロ導入を否決し、独自通貨クローネの使用を継続することを決定。

 

2001年 アフガニスタン派遣

デンマークは国際連合の要請に応じ、アフガニスタンに軍を派遣。国際的な平和維持活動に積極的に関与する。

 

2009年 コペンハーゲン気候変動会議

コペンハーゲンで国際連合気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)が開催され、気候変動対策の重要性が強調される。

 

2014年 マーストリヒト条約批准の20周年

デンマークはマーストリヒト条約批准から20周年を迎え、欧州統合の進展とデンマークの役割を再評価する。

 

2015年 難民危機への対応

シリア内戦などにより欧州全体で難民危機が発生。デンマークも難民受け入れに対する議論が活発化し、移民政策が大きな焦点となる。

 

2020年 COVID-19パンデミック

新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、デンマークもロックダウンや経済対策を実施。感染拡大防止と経済支援に注力する。

 

デンマークの歴史は、古代から現代に至るまで多様な変遷を遂げてきました。古代にはゲルマン系の部族が定住し、青銅器文化や鉄器文化が発展しました。中世にはバイキングとして知られるデーン人が活動し、10世紀にハラルド・ブルートゥース王によってキリスト教化と王国の統一が進められました。14世紀末にはカルマル同盟が成立し、北欧全域を支配する大国として君臨しました。近世には絶対王政が確立され、商業と海軍力が強化されました。19世紀には憲法改正により立憲君主制が確立され、第二次世界大戦後には復興と共にNATOや欧州連合(EU)に加盟。現代のデンマークは、福祉国家モデルと再生可能エネルギーの先進国として知られ、高い生活水準と国際的な影響力を持つ国へと成長しています。