16世紀頃よりイギリス、フランス、スペイン、ポルトガルなどで主権国家体制の形成が始まっています。その要因は一つに集約することはでいませんが、イタリア戦争が大きく寄与していることは間違いありません。
イタリアを巡る、領土獲得もしくは領土防衛戦争の過程で「国境」という概念が強く意識するようになり、同時に君主達はその領域内の住民を「国民」としてまとめあげる「国家主権」の重要性にも気が付き始めます。
神聖ローマ帝国とフランスがイタリアの覇権をめぐり戦った「パヴィアの戦い」(1525年)
また新しい戦争形態の変化に対応するべく、中央集権化(絶対王政)とそれを支える官僚制や常備軍の整備が急速に進められた結果、封建政治に代わる新たな政治体制として主権国家体制が台頭するようになったのです。
この主権国家体制の形成はイタリア戦争の過程で急速に進行し、三十年戦争の講和条約ウェストファリア条約(1648年)で完成をみることになります。
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