「落書き」というのは現代社会では違法行為として罰せられることもあるものですが、古い時代に描かれた落書きは、その時代に生きた人々が考えていることや文化を知る上で非常に重要な手がかりになります。
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例えば79年にヴェスヴィオ山の噴火で海港都市ポンペイが丸ごと埋没し、18世紀になり古代の街並みそのままに再発見されていますが、発掘された建物の壁には多くの落書きが残されており、これらは色々なことを伝えてくれます。
落書きには剣闘士試合の告知や、政治家への悪口の他、酒場での他愛もない会話や庶民同士の伝言などもあることから、ローマにおける識字率はそれなりに高かったのではないかといわれています。これらの日常的なメッセージは、古代ローマ人の日常生活、社会構造、娯楽や政治への関心など、多岐にわたる情報を提供します。
ポンペイの壁には、選挙活動に関連する多くの落書きも見つかっています。市民は自分たちの支持する候補者を宣伝し、政治的な意見を表明するために壁を使っていました。これにより、古代ローマの選挙活動や政治運動の一端を垣間見ることができます。
落書きには、当時の権力者や社会の矛盾を風刺したものも多く見られます。これらの風刺画や批判的なメッセージは、古代ローマの市民がどのように社会問題を捉え、どのような不満を抱いていたかを知る手がかりとなります。
ポンペイ以外でも、ローマの都市や辺境の地で見つかった落書きが多数存在します。例えば、ローマの軍事拠点や遠征地でも落書きが発見されており、これらは軍隊の日常生活や兵士の個人的な感情を知る貴重な資料です。
軍事拠点での落書きには、兵士たちが戦争や遠征の合間に描いた絵やメッセージが多く見られます。これにより、古代ローマ軍の内部事情や兵士たちの心理状態、彼らがどのような生活を送っていたかを知ることができます。
落書きには宗教的なシンボルや神々への祈りも多く見られます。これにより、古代ローマ人の信仰や宗教儀式、個人的な祈りの内容などを知ることができます。特にキリスト教の初期信者たちが残した落書きは、初期キリスト教の信仰とその広まりを理解する上で重要な資料です。
落書きの存在は、古代ローマ社会における識字率の高さを示しています。多くの市民が文字を書けたということは、教育が広く行き渡っていたことを意味します。古代ローマの教育制度や学校についての情報は限られていますが、落書きからは市民の教育水準や識字能力を推測することができます。
ローマでは、家庭教師や小規模な学校で子供たちに読み書きの教育が行われていました。裕福な家庭では専門の教師を雇い、子供たちに高度な教育を施していました。落書きの存在は、こうした教育の普及が市民全体に広がっていたことを示唆しています。
落書きには、ラテン語の他にも様々な方言や異なる言語が混じっているものもあります。これにより、ローマ帝国の多言語社会や地域ごとの言語差を理解する手がかりとなります。言語学的な分析により、当時のローマ市民がどのような言葉を使っていたかを知ることができます。
古代ローマの落書きは、当時の社会や文化、政治、宗教など多岐にわたる情報を提供する貴重な史料です。ポンペイや他の都市で発見された落書きから、古代ローマ人の生活や思想、社会構造を理解する手がかりが得られます。落書きの存在は、識字率の高さや教育の普及を示すものであり、古代ローマの市民がどのように日常を送り、どのような問題に関心を持っていたかを知る上で重要な資料となります。
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