かつてハプスブルク帝国として威容を誇ったオーストリアは、第一次大戦後、敗戦国として多くの領土を失い、中欧の一小国としての地位に没しました。なんとか再起したいオーストリアには、ドイツとの合併を望む声もありましたが、これは戦勝国のイギリス・フランスに禁じられていました。
しかし1929年に世界恐慌が発生、1931年に国内最大にしてヨーロッパでも重要な地位を占めるクレジット・アンシャルタルト銀行が倒産。オーストリアは深刻な経済不況に陥り、大国のドイツとの併合に活路を見出す声がますます高まっていきます。
そして不況にともなう社会不安を温床にオーストリア・ナチスはどんどん支持を拡大していきました。1933年、ドイツでヒトラーが政権をとると、その援助を受けてオーストリア・ナチ党による反政府運動も活発になっていくのです。
最初は助けてくれていたイタリアも、36年以降急速にドイツに接近していき、自国のアフリカ進出を容認させるかわりに、ドイツの東方(オーストリア、チェコスロバキア)進出も容認するようになります。
それをうけ自信をつけたナチスドイツは、1938年3月にオーストリアに進軍、オーストリアの併合を強行した、という流れがあるのです。
ヒトラーの併合宣言を聞くべく、広場に集まるオーストリア市民
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