アイスランドの歴史年表

アイスランドの国旗

 

アイスランドの国土

 

アイスランド(正式名称アイスランド共和国)は北ヨーロッパにあり、スカンディナヴィア半島の西・北大西洋上に位置する共和制国家です。アイスランド島と周辺の島々で構成された島国で、北部は北極圏に接しています。首都は「煙たなびく湾」の別名を持つレイキャビク

 

この国は火山と氷河という異質なものが並存する「火と氷の国」として有名で、それら利用した地熱発電・水力発電などエネルギー産業がさかんです。また島国らしく漁業は古くから基幹産業の一つですが、近年は豊富なエネルギー資源を活かした工業主体にシフトしつつあります。

 

中世初期に北欧からアイスランド島に移住してきたノルマン人バイキングがアイスランド人の祖先で、島内には複数のノルマン人部族が並立しますが、やがて「世界最古の近代議会」といわれるアルシングにより民主的統制をとるようになります。まもなくノルウェーデンマークによる植民地支配により長い間政治的独立を奪われますが、20世紀半ばにようやく独立を取り戻し現在に至っています。

 

地理的な要因から大陸ヨーロッパ諸国の同化圧力が少なかったため、中世から続く伝統文化の多くが保持されています。独立国家としての歴史はまだ浅いかもしれませんが、言語を始めアイデンティティの根っこの部分はほとんど姿を変えず脈々と受け継がれおり、アイスランド語が古典文学を読み解くのに重宝されるなど、アイスランド文化の史学的価値は非常に高いです。ここではそんな歴史あるアイスランドの古代から現在までの出来事を年表形式でまとめています。

 

アイスランドの歴史年表

 

古代アイスランド

古代(西ローマ帝国崩壊前)におけるアイスランドについては、ほとんど記録が存在しません。アイスランドは、874年にノルウェーから来たヴァイキングによって最初の恒久的な入植が行われるまで、長い間無人の地であったと考えられています。したがって、西ローマ帝国が崩壊した5世紀の時点では、アイスランドはおそらく未開の土地で、現在知られているような社会や文化は存在していなかったと推測されます。ヴァイキングの入植以前のアイスランドの歴史については、考古学的証拠も限られており、この地がどのような状態だったかについての詳細は依然として不明な部分が多いです。

 

前4世紀頃

古代ギリシア人の探検家ピュテアスが、アイスランドの島と考えられる「トゥーレ」を発見。この発見は、古代ヨーロッパの人々に北の遠隔地への関心を抱かせ、地理学や探検の対象となった。ピュテアスの報告は、後世の地理学者や探検家に影響を与え、北欧の地理に関する知識の基礎となった。しかし、トゥーレの正確な位置は長い間謎のままであり、学術的な議論が続いた。

 

中世アイスランド

アイスランドの本格的な歴史の歩みは中世から始まります。9世紀後半にノルウェー・バイキング(インゴゥルブル・アルトナルソン)が当時まだ無人だったこの場所に移住したことがアイスランド人の起源とされています。アイスランド人は10世紀には世界最古の議会とも呼ばれる全島民会(アルシング)により憲法を制定し、当時にしては珍しい共和制の連邦国家を形成しました。しかし13世紀以降はノルウェーの支配下に、14世紀末以降はデンマークがノルウェーを併合したことでデンマークの支配下におかれ、植民地国として長い長い時を過ごすこととなります。

 

9世紀

ノルウェー人バイキングがアイスランドへの植民を開始。930年までにおよそ2万人が移住。この植民活動により、アイスランドは北欧の文化と社会が根付いた地となり、ノルウェーからの移住者が独自のコミュニティを築いた。930年にはアイスランドの初の全国議会「アルシング」が設立され、世界最古の議会制民主主義の一つとして機能し始めた。この時期のバイキングの活動は、アイスランドの歴史と文化に深い影響を与え、現在もその遺産が色濃く残っている。

 

10世紀

930年 アルシングの創設

世界最古の近代議会とされる統治機関「アルシング」が、アイスランドに創設される。この議会は、各地の首長や自由民が集まり、法律の制定や紛争の解決を行う場として機能した。アルシングの創設は、アイスランドの統治制度の確立と民主的な意思決定の基盤を築き、現在に至るまで続くアイスランドの議会制民主主義の原点となった。この時期、アイスランド社会は法と秩序を重んじる文化が形成され、地域の統一と安定に寄与した。

 

985年 グリーンランドの発見

アイスランド・バイキングのエイリーク・ソルヴァルズソン(赤毛のエイリーク)が、グリーンランドを発見。この発見は、北大西洋の新たな地への探検と植民活動の一環として行われた。エイリークは追放刑を受けた後、航海を経てグリーンランドに到達し、そこに新たな居住地を築いた。彼の功績は、北欧バイキングの航海技術と探検精神を示すものであり、グリーンランドの入植は北欧の文化と影響をさらに広げる結果となった。エイリークの息子レイフ・エリクソンは、その後北アメリカ大陸に到達したとされ、バイキングの探検史において重要な役割を果たした。

 

992年 アイスランド人が北米に到達

「赤毛のエイリーク」の息子でバイキングのレイフ・エリクソンが北米に渡る。アメリカに上陸した初のヨーロッパ人となった。

 

1000年 キリスト教の国教化

アイルランドではもともと北欧神話の神々を崇拝する多神教が根付いていたが、9世紀頃からノルウェーの圧力もありキリスト教への改宗が始まった。言い伝えによれば1000年に正式にキリスト教が国教となったとされる。

 

13世紀

1241年 スノッリ・ストゥルルソンの暗殺

アイスランドの統治者スノッリ・ストゥルルソンが、アイスランドを支配下におこうとするノルウェー王の刺客に暗殺される。

 

1262年 ノルウェーによる支配

ノルウェーに征服され、アルシングも事実上機能を停止した。アイスランドはノルウェー王国の統治下に入り、独立を失うこととなった。この支配は、アイスランドの政治的自治が制限される時期の始まりであり、ノルウェーの法律と行政が導入された。しかし、アイスランドの文化と伝統は維持され、ノルウェーとの結びつきが強化されることで、後の歴史におけるスカンディナヴィア地域との連携の基礎が築かれた。ノルウェー支配は1380年にデンマークとノルウェーの同君連合が成立するまで続き、以降はデンマークの支配下に入ることとなった。

 

14世紀

1380年頃 デンマークによる支配

ノルウェーの衰退にともない、アイスランドの支配権がデンマークに移る。ノルウェーとデンマークの同君連合が成立したことにより、アイスランドはデンマークの統治下に入る。この時期、アイスランドの政治的自治はさらに制限され、デンマークの法制度と行政が適用された。デンマーク支配下では、商業活動の制限や宗教改革の影響があり、アイスランドの社会経済に大きな変化がもたらされた。しかし、アイスランドは独自の文化と言語を維持し続け、最終的に19世紀後半から20世紀初頭にかけての独立運動へと繋がることとなった。

 

近世アイスランド

近世アイスランドは、主にデンマークの支配下にあり、農業が経済の中心でしたが、厳しい自然環境と火山活動による影響で生活は困難でした。17世紀には小氷期の影響で気候が冷え込み、食料生産が一層困難に。この時期、アイスランドは貧困と疫病が広がり、人口も減少しました。18世紀には啓蒙運動の影響を受け、教育と文化が少しずつ発展。しかし、デンマークからの独立運動が起こる19世紀まで、政治的には大きな変化がなく、多くのアイスランド人が生活改善のため移民を余儀なくされました。

 

15世紀

1402年 ペストの流行

アイスランド島で別名「黒死病」とも呼ばれるペストの流行が始まる。1404年までに全島民の3分の2が死亡した。この大規模な疫病は、アイスランドの社会と経済に壊滅的な影響を与えた。農業生産は激減し、労働力の不足が深刻化した。多くの家族が絶える一方で、残された人口は共同体の再建に苦労し、島全体の復興には長い時間を要した。このペストの流行は、アイスランドの歴史における最も悲劇的な出来事の一つとして記憶されている。

 

16世紀

1550年 プロテスタントへ改宗

デンマークからの圧力により国教をルター派(プロテスタント)に改宗する。この改宗により、アイスランドの宗教生活と社会構造は大きく変わった。カトリック教会の影響力が排除され、教会財産の没収や教会制度の改革が行われた。ルター派の教義は、教育や文化にも影響を与え、アイスランド社会に新しい価値観と倫理観をもたらした。この時期、デンマークの支配はさらに強化され、宗教改革はアイスランドのデンマーク化を促進する一方で、アイスランドの文化的独自性は引き続き保持された。

 

18世紀

1783年 ラキ火山の噴火

アイスランド南部のラキ火山が噴火。噴火後大飢饉が発生し、住民の2割が死亡。大量の家畜も死亡し、島に壊滅的な被害をもたらした。

 

1800年 アルシングの禁止

デンマーク政府により独立派を抑え込む目的でアルシングが禁止される。この措置は、アイスランドの自治と政治的活動を制限するものであり、独立運動の勢いを削ぐために行われた。アルシングの廃止により、アイスランドの政治的意見を表明する場が失われたが、独立の機運は完全には消え去らなかった。この後もアイスランド人の間で自治と独立の意識は根強く残り、19世紀半ば以降の独立運動に繋がっていくこととなる。アルシングは1845年に再び設立され、アイスランドの自治回復の象徴となった。

 

近代アイスランド

アイスランドで長い植民地支配に異議を唱える独立運動が活発に行なわれるようになったのは19世紀中期からです。20世紀初頭に内政に関わる自治権を獲得し、デンマークと「同君連合」の枠内で独立王国として認められるなど、失った権利を段々と取り戻していきます。そして第二次世界大戦が勃発し、宗主権を持つデンマークがナチス・ドイツに占領されたのを機に、デンマークからの完全独立を宣言。アイスランド共和国として正式に独立を達成したのです。

 

19世紀

1845年 アルシングの復活

19世紀以降の独立派の熱心な活動の結果、アルシングが復活した。この復活は、アイスランドの自治と政治的自己決定の象徴であり、独立運動の大きな成果となった。アルシングは再びアイスランド人の政治的意見を表明する場として機能し、自治権の拡大を目指す動きが活発化した。

 

1854年 交易の自由化

1602年以降、デンマークに独占されていた外国との通商交易が完全自由化となる。これにより、アイスランドの経済は大きく変わり、貿易の自由化がもたらす新たな経済的機会が開かれた。アイスランドの商人は自らの判断で貿易を行うことが可能となり、経済の活性化と多様化が進んだ。この自由化は、アイスランドの経済的独立を強化し、独立運動の背景としても重要な役割を果たした。

 

20世紀前半

1904年 自治法の成立

自治を達成。1874年制定の自治法にしたがい首相職もおかれた。初代首相は地方自治党のハネス・ハフスタイン。自治法の成立により、アイスランドは内政の多くの分野で自治権を獲得し、独自の政府機構を構築することができた。ハフスタインの指導の下、アイスランドは行政機関の整備や法制度の改革を進め、近代国家としての基盤を固めた。この自治法の成立は、アイスランドの独立への道を切り開く重要な一歩となり、後の完全独立へと繋がる基礎を築いた。

 

1939年 第二次世界大戦勃発

ナチスドイツのポーランド侵攻をきっかけに第二次世界大戦が勃発した。アイスランドは連合国・枢軸国どちらにもつかない中立政策をとったが、連合軍が航路防衛の必要上からアイスランドに侵攻を開始(フォーク作戦)し、イギリス、アメリカに占領された。

 

1944年 デンマークからの分離・独立

第二次大戦の混乱に乗じてデンマークからの分離・独立を宣言し、アイスランド共和国が成立した。アイスランドは1944年6月17日、アルシングでの投票により正式に独立を宣言し、国王に代わる共和国大統領を選出した。これにより、アイスランドは完全な主権国家となり、デンマークとの連合を解消した。独立はアイスランド国民にとって長年の夢であり、独立宣言は国家の新たな章を開く象徴的な出来事となった。この独立は、アイスランドが国際社会における地位を確立し、独自の道を歩むための重要な転機となった。

 

現代アイスランド

戦後冷戦下では、アイスランド島が北極海をはさみソ連と対峙していたため、アメリカを中心とする西側諸国にとって高い戦略的重要性を帯びることになります。首都レイキャビクにはNATO軍基地が置かれるなど、冷戦終結まではアメリカを中心とする西側諸国の強い影響下にありました。しかし冷戦終結とともに駐屯していたアメリカ軍なども撤退していきました。

 

冷戦終結後のアイスランドは、その地政学的な重要性から一歩退き、国際関係において平和的かつ中立的な役割を追求するようになりました。経済的には、アイスランドは再生可能エネルギーの利用拡大に注力し、地熱や水力を活用してエネルギー自給自足国を目指しています。また、金融危機の影響を受けた2008年の経済崩壊からの回復を経て、観光業が急速に発展し、国の主要な収入源の一つとなっています。さらに、データセンターの設立が進むなど、IT分野でも成長を見せています。

 

20世紀後半

1947年 OEECに加盟

欧州統合に先立つ概念をもつ「欧州経済協力機構(OEEC)」に加盟した。OEECは、マーシャルプランの一環として欧州の経済復興を支援するために設立され、後にOECD(経済協力開発機構)の前身となった。これにより、アイスランドはヨーロッパ経済の再建と協力に積極的に参加することとなった。

 

1949年 NATOに加盟

ソ連を中心とする共産圏に対抗する為に設立された「北大西洋条約機構(NATO)」に加盟した。この加盟により、アイスランドは西側諸国の防衛体制の一環として重要な役割を果たすこととなり、冷戦期の安全保障において戦略的な地位を確立した。

 

1951年 冷戦激化をうけアメリカ軍が駐留

冷戦が激化したことで、アメリカ軍が駐留を開始する。アイスランドは戦略的に重要な位置にあり、アメリカ軍の駐留は北大西洋地域の防衛を強化するための重要な措置であった。駐留はケフラヴィーク基地を中心に行われ、アイスランドの防衛と北大西洋の安全保障に寄与した。

 

1955年 タラ戦争の勃発

アイスランドとイギリスの間で、漁業専管水域における漁業権を巡る武力衝突「タラ戦争」が発生。戦いは三次にわたって続いたが、1976年アイスランド側が勝利したことで終結。

 

1970年 欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟

アイスランドは欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟し、ヨーロッパとの経済的結びつきを強化した。EFTAは、自由貿易を促進し、加盟国間の経済協力を深化させることを目的とした組織であり、アイスランドの貿易拡大と経済成長に寄与した。この加盟により、アイスランドは他のヨーロッパ諸国との関係を強化し、経済の国際化を進める重要な一歩を踏み出した。

 

1980年 世界初の女性大統領の誕生

ヴィグディス・フィンボガドゥティルが世界初の民選の女性大統領になった。アイスランドの欧州経済領域(EEA)に尽力。1994年に加盟を果たした。彼女は欧州連合(EU)の賛同者だった。

 

1986年 レイキャビクにて米ソ首脳会談

首都レイキャビクのホフディハウスで、レーガンとゴルバチョフによる米ソ首脳会談が行なわれる。この会談は冷戦緊張緩和の重要な節目となり、軍備縮小と核兵器制限に向けた進展が見られた。

 

1991年 アルシング一院制に移行

アルシングが二院制から完全な一院制に移行。この改革により、議会運営が簡素化され、立法プロセスの効率が向上した。

 

1994年 欧州経済領域(EEA)に加盟

欧州経済領域(EEA)に加盟。これにより欧州連合に加盟することなく、EUの単一市場に参加することができるようになった。この加盟により、アイスランドは貿易と経済活動を拡大し、ヨーロッパとの経済的結びつきを強化した。

 

1996年 北極評議会に加盟

北極圏における経済活動や環境保護に関する協議・協力を目的に設立された北極評議会に加盟。北極評議会は、北極圏の持続可能な発展と環境保護を推進するための政府間フォーラムであり、アイスランドは他の加盟国とともに、気候変動への対応や北極海の保護、生態系の維持などに取り組むようになった。この加盟により、アイスランドは北極圏の課題に積極的に関与し、国際的な協力を強化する役割を果たすこととなった。

 

21世紀

2006年 アメリカ駐屯軍の撤退

冷戦時代から駐留していたアメリカ軍が撤退。ケプラヴィーク基地が閉鎖され、今や同国最大の空港であるケプラヴィーク国際空港となる。

 

2008年 金融危機

世界的な金融危機の影響を受け、アイスランドの主要銀行が破綻。経済は深刻な打撃を受け、通貨クローナの急落や失業率の急上昇などの経済的困難に直面。

 

2009年 左派政権の成立

金融危機後の総選挙で左派政党が勝利し、新しい連立政権が成立。ヨハンナ・シグルザルドッティルが首相に就任し、アイスランド初の女性首相となる。

 

2010年 エイヤフィヤトラヨークトル火山噴火

エイヤフィヤトラヨークトル火山が噴火し、ヨーロッパ全土の航空機運航に大きな影響を与える。火山灰が広範囲に広がり、空の交通が数週間にわたり混乱。

 

2013年 中央銀行の独立強化

金融危機後の改革の一環として、アイスランド中央銀行の独立が強化される。これにより、通貨政策の信頼性が向上し、経済の安定化が図られる。

 

2016年 パナマ文書リーク

パナマ文書のリークにより、アイスランドの政治家や実業家のオフショア取引が暴露される。これにより、政府に対する信頼が揺らぎ、首相辞任などの政治的動揺が発生。

 

2017年 中道右派連立政権の成立

総選挙の結果、中道右派政党が連立政権を形成。新政権は経済改革と欧州連合との関係見直しを進める方針を掲げる。

 

2018年 ミートレスムートゥン運動の拡大

アイスランドでミートレスムートゥン(肉を食べない月間)運動が拡大し、環境保護と健康志向の高まりが社会全体に広がる。多くの市民がこの運動に参加し、持続可能な食生活を推進。

 

2020年 COVID-19パンデミック

アイスランドも新型コロナウイルスのパンデミックに直面し、政府は厳格な検疫措置やロックダウンを実施。感染拡大を抑えるための迅速な対応が評価され、比較的低い感染率を維持。

 

2021年 ワクチン接種の推進

アイスランド政府はCOVID-19ワクチン接種を迅速に推進し、国民の大部分が早期に接種を完了。これにより、社会の正常化と経済回復が進展。

 

古代から現代にかけてのアイスランドの歴史は、その地理的孤立と厳しい自然環境によって特徴づけられます。9世紀後半、ノルウェーのヴァイキングがアイスランドに定住を開始し、930年には世界最古の議会、アルシングが設立されました。中世には独自の文化と文学が花開きましたが、14世紀から18世紀にかけてはデンマークの支配下に置かれ、寒冷期や疫病、火山活動などに苦しみました。19世紀には独立運動が盛んになり、1944年に完全独立を達成。20世紀後半には冷戦下での地政学的重要性が増し、近年では観光業と再生可能エネルギーが経済を支えています。アイスランドはその独自の文化と自然環境を大切にしながら、現代社会での役割を確立しています。