フランク王国が発展した理由とは?

西ローマ帝国崩壊後、旧西ローマ帝国領には様々なゲルマン系国家が乱立、そのほとんどが短命に終わる中、フランク王国はしぶとく生き残り、勢力を拡大していきました。そして全盛期には今のドイツ、イタリア北部、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、スイス、オーストリアなど、西ヨーロッパ全域を支配下におさめるほどの超大国に成長したのです。

 

フランク王国の発展理由

フランク王国がここまで大きくなれた理由としては色々考えられますが、1つにカトリック教会との結びつきの強さがあります。ゲルマン系民族はローマ人と同じくキリスト教を信仰していましたが、キリスト教はキリスト教でも、アリウス派という異教を信仰していました。そこでクローヴィス1世は、493年にカトリック(アタナシウス派キリスト教)に改宗し、フランク領内のローマ人から信頼を得て、ローマ教皇からの莫大な援助を得られるようになりました。フランク王国の発展を支えた理由として、この改宗が寄与したところは極めて大きいといえるでしょう。

 

その後、メロヴィング朝が断絶し、カロリング朝へ支配権が移行しても、ローマ教会とのつながりは維持されました。それどころか、756年にピピン3世がローマ教皇に土地を献上(ピピンの寄進)することで、繋がりはいっそう強化されたのです。

 

新生西ローマ帝国へ

その後ピピン3世の息子カールは、大規模な遠征を行い、西ヨーロッパ世界の統一を成し遂げました。800年、その活躍を讃えられたカールは、当時の教皇レオ3世からローマ皇帝の帝冠を授けられます。(カールの載冠)これは、フランク王国が過去に滅んだ「西ローマ帝国」の正式な継承国と認められたことを意味し、国として発展の頂点に達したことを象徴する出来事でした。

 

 
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