カール4世は14世紀に活躍したルクセンブルク家出身の神聖ローマ皇帝で、数々の近代化改革の中でも、とりわけ金印勅書の発布で大空位時代の混乱を沈めた功績で知られます。フランス語・ドイツ語・イタリア語・チェコ語など多言語を操る教養豊かな人物で、プラハ大学の創設など学芸振興に務めたことから「文人皇帝」とも呼ばれています。1356年に発布した金印勅書は長らく神聖ローマ帝国の最高国家法規となり、またアビニョン捕囚中の教皇のローマ帰還を実現させたことも歴史的に非常に重要です。
1356年に神聖ローマ帝国の最高法規ともいえる金印勅書を発布。これで大空位時代に終止符が打たれるとともに、神聖ローマ皇帝の選出権が7選帝侯に限定されました。一方で選帝侯の特権が拡大したことで、神聖ローマ帝国の領邦の自立化が確定的なものとなりました。
カール4世はフランス語、イタリア語など近隣国の諸言語を自在に操る知識人でもありました。そのため文化振興にも熱心で、その一環として1348年、中央ヨーロッパ最初の大学であるプラハ大学が創設されました。以後プラハは中央ヨーロッパの学問の中心地として発展していくことになります。
アヴィニョンでフランス国王の監視下に置かれていた教皇グレゴリウス11世のローマ帰還を助け、1377年には1309年以来続いていた「教皇のバビロン捕囚」に終止符を打ちました。これでカール4世は名声を得て、神聖ローマ帝国の国際的地位を大きく向上させました。
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