アマルフィ公国(共和国)

アマルフィ公国の国旗

 

アマルフィ公国(Ducato di Amalfi) もしくはアマルフィ共和国(Repubblica di Amalfi)は、10世紀から12世紀にかけ、現在の南イタリア・カンパニア州のアマルフィに存在した都市国家です。中世以来海港都市として発展し、ヴェネツィア共和国ジェノヴァ共和国にその座を奪われるまで、イタリアの地中海貿易の中心地として重要な役割を担っていました。

 

 

アマルフィ公国の歴史

アマルフィは、339年、古代ローマ人に設置された「貿易所」に起源を持つとされ、ローマ帝国崩壊後も海運業や漁業で栄え、968年には「公国」に昇格しています。

 

アマルフィ公国は、その繁栄期には地中海を中心に広範な海洋交易を展開しました。そして、その影響力はただ経済的なものだけでなく、文化や法律においても重要でした。特に有名なのが「アマルフィ海法」で、これは中世の海商法の中心となり、後の海洋法の発展に大きな影響を与えました。

 

しかし11世紀以降、ノルマン朝シチリア王国、サレルノ公国などの圧力下で衰退が始まり、12世紀にピサ共和国からの攻撃により滅亡しました。

 

アマルフィ公国とピサ共和国

 

アマルフィ公国とピサ共和国は、両者とも中世のイタリアで重要な海洋都市国家であり、地中海における貿易で競い合っていました。両国ともに貿易を通じて豊かさを享受し、地中海地域の政治、経済、文化に大きな影響を与えました。

 

しかし、11世紀から12世紀にかけて、これらの海洋都市国家間での競争が激化し、特にピサ共和国はアマルフィ公国に対して軍事的な優位を握るようになります。1135年、ピサ共和国はアマルフィに大規模な海軍攻撃を行い、この戦闘によってアマルフィ公国はほぼ壊滅的な打撃を受け、その海洋都市国家としての地位を失います。この結果、アマルフィ公国の衰退が始まり、一方でピサはその地位をさらに強固なものにしました。

 

したがって、アマルフィ公国とピサ共和国の関係は競争と対立によって特徴づけられ、それは最終的にアマルフィ公国の衰退と滅亡につながる要因となりました。

 

現在のアマルフィ

公国の衰退と滅亡後も、アマルフィの名はその海洋交易で築き上げた文化的遺産と共に、現代まで受け継がれています。建築物や芸術作品、さらにはアマルフィ製紙の技術など、その遺産は多岐にわたり、現在も訪れる人々を魅了しています。

 

特に現在アマルフィといえば、「世界一美しい海岸」と称されるアマルフィ海岸(1997年世界遺産に登録)がある、イタリア屈指の景勝地として知られています。

 

アマルフィ公国は、一時期は繁栄を極めたものの、外部からの圧力や攻撃により衰退を迎えました。しかし、その影響力と遺産は今も残り、その美しい風景と共に世界遺産として称賛され、訪れる人々にその歴史と文化を伝えています。