フォルリの歴史

フォルリ市内のイカロス像

 

フォルリ(伊:Forli)は、イタリア北東部、ボローニャの南東約60km地点に位置する都市です。靴・家具・繊維など各種工業、冷涼な気候を活かした農業がさかんで、豊かさではヨーロッパでも屈指のエミリア・ロマーニャ州に属しています。

 

フォルリの時代変遷

 

古代

前2世紀にローマ執政官リウィウスにより建設された「フォルム・リウィイ(Forum Livii)」に起源を持ちます。当時から農業がさかんで、エミリア街道を通して、ローマ市場に農産物を流通させていました。

 

中世

西ローマ帝国が崩壊すると、東ゴート王国ランゴバルド王国教皇領の支配を経て、11世紀に自由都市となり、共和制のコミュニティとして繁栄するようになりました。12世紀には北東のラヴェンナと同盟を組み、ライバル関係にあったファエンツァ、ボローニャなどに対抗。16世紀初頭には教皇領に戻り、その支配は18世紀末にナポレオンにより征服されるまで続きました。

 

近代

19世後半、ピエモンテ州を拠点とするサルデーニャ王国主導で、イタリア統一運動(リソルジメント)がさかんになり、フォルリ市民もこれに合流。1861年には統一が達成され、現共和国の前身・イタリア王国が成立し、フォルリもその一部として運命を共にすることとなりました。