アン・ブーリンは(1501年頃 - 1536年)は、ヘンリー8世の2番目の王妃で、男子を授かれなかったために、姦通を理由に投獄され、処刑されてしまった人物です。ロンドンの裕福な商人の出で、1519年頃から22年までフランスの宮廷で過ごしました。帰国後、王妃キャサリンの侍女となり、国王ヘンリー8世の寵愛を受けるように。そして王はキャサリンが男子を授かれないことがわかると、ローマ教皇の反対を無視して離婚を強行、アンと結婚するのです。これがイギリスにおける宗教改革の発端にもなっています。しかしアンは後の女王エリザベスを出産するも、男子は授かれなかったため、国王の彼女への気持ちは急速に冷めていきました。挙句反逆や姦通罪の汚名を帰せられ、ロンドン塔に幽閉された後、処刑されてしまったのです。
アン・ブーリンの子供は、後にイングランド絶対王政を完成させ、「エリザベス朝」と呼ばれるイングランド黄金時代を築くことになるエリザベス1世です。1533年、ヘンリー8世との第二王女として出産し、母エリザベス・ハワードの名からエリザベスと名付けました。
エリザベスは王位継承者になりましたが、アンはエリザベスの誕生後、男子を生むことができなかったため、ヘンリー8世の怒りを買い、捏造された不義密通により死罪を宣告。処刑されたためエリザベスは庶子とされ、王女の称号ははく奪となり、苦難の日々を送ることとなりました。
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