「カロリング帝国」という別名で呼ばれるのは、カロリング朝のカール大帝以降のフランク王国です。
それというのも、フランク王国はカール大帝の治世で、その版図を最大に広げ、西ヨーロッパ全域を支配する大帝国に成長しました。そのため以降のフランク王国は「カロリング朝」という王朝名にちなみ「カロリング帝国」と呼ばれているのです。
カロリング帝国時代のフランク王国は文化的発展も目を見張り、ルネサンスの先駆けとなった「カロリング朝ルネサンス」と呼ばれるラテン文化復興運動も起きています。
歴史学的には、「カロリング帝国」の始点は、カール大帝が「西ローマ皇帝」として戴冠を受けた800年で、終点はヴェルダン条約により領土が3つに分裂する843年(もしくは神聖ローマ帝国が成立する924年)とされることが多いです。
フランク王カールが、西ローマ皇帝として戴冠を受けた800年がカロリング帝国の始点とされる。
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