神聖ローマ帝国は、オットー1世がイタリア遠征により、ランゴバルド王の称号を奪い、962年にローマ皇帝として戴冠を受けたことから始まります。そのため、確かに名目上はイタリアは神聖ローマ帝国の支配下にありました。
しかし最初こそ神聖ローマ皇帝と教皇は協力関係を築いていたものの、やがてイタリアの覇権をめぐり対立するようになります。それは叙任権闘争でピークに達し、イタリアは「国内の外国」のような存在になっていきました。
神聖ローマ帝国とフランスがイタリアの覇権をめぐり戦った「パヴィアの戦い」(1525年)
神聖ローマ帝国は「ローマ帝国の継承者」を名乗る以上、「永遠の都=ローマ」擁するイタリアは何としても押さえておきたいのですが、
などでその支配を確立するのは至難でした。
そしてシュタウウェン朝の崩壊によりイタリア政策は終焉を迎えますが、神聖ローマ帝国がイタリア政策に傾倒し、ドイツをおろそかにしたことは、諸侯の分立体制の進行を促進し、ドイツ統一が遅れる遠因になったといわれています。
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