フランスからみた第一次世界大戦

第一次世界大戦は、オーストリア皇太子が暗殺されたサラエボ事件がきっかけとし、ヨーロッパが主戦場となり、世界中を巻き込んだ史上初にして最大規模の国際戦です。陣営は三国協商(イギリス・フランス・ロシア帝国)を中心とした連合国と、ドイツとオーストリア=ハンガリーを中心とした同盟国に分かれました。戦争は1914年から1918年までの4年間におよび、全世界で1500万人以上の死者が出ました。フランスも最終的には戦勝国となりましたが、男性労働人口の1割を失うなど、多大な犠牲を払う結果となってしまいました。ここではそんなフランスの第一次世界大戦の動きに注目してみましょう。

 

 

フランスの参戦理由

オーストリアがセルビアに宣戦布告し、オーストリア側にドイツ、セルビア側にロシアがつきました。そしてフランスは英仏露三国協商にもとづき、ドイツに敵対する立場として参戦したのです。フランスは国内の人員や経済力、あらゆる工業技術を動員した上、自国の植民地からも労働力や物資を確保し、国家総力戦として戦争にのぞみました。
フランスの国土は西部戦線の主戦場となり、マルヌの戦い、ヴェルダンの戦い、ソンムの戦いなどの激戦が繰り広げられました。

 

フランスでは第一次世界大戦のことを、「大戦争」という意味でla Grande Guerreと呼ぶことも多いです。

 

第一次大戦におけるフランスの主な戦い

マルヌの戦い〜独軍の侵攻をくい止める〜

戦争はドイツの西進、ベルギー侵攻から始まり、次いで南下を始め、フランスに進軍しました。これをフランス軍が食い止めたのがマルヌの戦いであり、西部戦線最初のフランスとドイツの会戦となりました。この戦いでドイツの侵攻を食い止めたことで、戦線は膠着状態となり、短期決戦から長期戦に変わったたため、「マルヌの奇跡」と呼ばれています。

 

ヴェルダンの戦い〜戦場が立入禁止地域に〜

ヴェルダンの戦いは、フランス北東部ムーズ川周辺地域で勃発した、第一次世界大戦中に最も多くの死傷者を出した戦いの一つです。ドイツが膠着状態を打破するために開始しましたが、フランスの激しい抵抗により撤退に追い込まれました。
この戦いでは、大量の爆薬、毒ガスを含んだ砲弾、弾薬、兵器がこの地に投入されました。そのためこの地域は深刻な土壌汚染と大量の不発弾により、戦後100年以上が経過した今でも、人が住めない立ち入り禁止領域(「ゾーン・ルージュ」と呼ばれています)になっています。

 

ソンムの戦い〜膠着状態打破の反攻戦〜

ソンムの戦いは、フランスのソンムで行われた連合国軍とドイツ軍の戦いです。膠着状態にあった西部戦線において、フランスとイギリスがフランス北西部ソンム川近辺で始めた反攻戦です。激戦となり、フランス軍19万5000人もの死傷者をだしました。

 

パリ講和会議〜敗戦国の領土分割が決定〜

第一次世界大戦終結後、イギリス、フランス、アメリカなどが中心となってパリ講和会議が開かれました。この会議の中で、敗戦国の領土分割が決定され、平和維持を目的として国際連盟が設立されました。しかしフランスの陸軍軍人のフェルディナン・フォッシュが「これは講和ではない。20年間の休戦にすぎない」と予言した通り、ほぼ20年後の1939年に再び全世界を巻き込んだ世界大戦が勃発することとなり、平和維持の試みは失敗に終わったのでした。