大英帝国の植民地政策とは?

大英帝国の植民地政策は、1887年に設立された「イギリス植民地会議」と呼ばれる機関で決められていました。これが1907年以降はイギリス帝国会議となり、第二次大戦末期の1944年以降はイギリス連邦首相会議に代わりました。

 

植民地政策の最重視

19世紀半ばになり、植民地の拡大が本国の負担を増大させることから、植民地不要論(小イギリス主義)も台頭しますが、工業化で急成長を遂げたドイツアメリカが、イギリスの地位を脅かすようになると、国力=生産能力を支える市場と原料の供給地として、再び植民地を重視する見方が強くなります。

 

そのような中で設立されたのがイギリス植民地会議でした。植民地会議は定期的にロンドンで開催され、植民地の協力体制や防衛、関税、外交問題などについて討議されました。自治領や保護領、植民地の代表が一堂に会するため、帝国臣民として結束が強化されるという効果もありました。

 

1887年に開催された植民地会議の代表