大航海時代で否定された地球平面説とは?

 

「地球は丸い」というのはもはや言うまでもない常識と思っている人が大半だと思いますが、人類の長い歴史からみれば、それが「あたりまえ」となったのはつい最近のこと。実は古代から中世までの長い間、我々人類が住む大地はまっ平(円盤状)だとする地球平面説が支持されていました。

 

 

地球平面説の背景

古代から中世にかけて、多くの文化や文明で地球は平面であると信じられていました。これは主に視覚的な観察に基づいており、地平線が平らに見えることから来ているものでした。また、宗教的な教義や神話も地球平面説を支持していました。例えば、中世ヨーロッパでは、聖書の記述が地球平面説を裏付けるものと解釈されることが多かったのです。

 

地球球体説の台頭

地球球体説それ自体は、ピタゴラスやヘロドトス、プラトンなどの古代ギリシアの哲学者や歴史家により提唱されてきましたが、それを証明する術がありませんでした。彼らは、地球が丸い形をしていると推測し、その理論を支持するいくつかの証拠を挙げましたが、これが広く受け入れられることはありませんでした。

 

古代ギリシアの影響

古代ギリシアの学者たちは、太陽と月の形状や月食の観察から地球が球体であると推測しました。エラトステネスは紀元前3世紀に地球の周囲を計算し、その結果は驚くほど正確でした。しかし、このような知識は限られた学者の間にとどまり、一般的には受け入れられませんでした。

 

ルネサンスと科学の発展

14世紀以降、ルネサンスの開化により、天文学や地理学が急速に発展しました。これにより、地球が平面であるという考えに疑問が投げかけられ始めました。コペルニクスやガリレオ・ガリレイといった科学者たちは、地動説や天文学の新しい理論を提唱し、地球が球体であるという考えを強力に支持しました。

 

コペルニクスの地動説

コペルニクスは、地球が太陽の周りを回っているという地動説を提唱しました。この理論は、地球が球体であるという前提に基づいており、従来の天動説に代わる画期的なものでした。彼の理論は、天文学の観測結果とよく一致し、科学界に大きな影響を与えました。

 

ガリレオ・ガリレイの貢献

ガリレオは、望遠鏡を使った観測により、地動説を強力に支持しました。彼は木星の衛星や月のクレーターを観察し、天体が完璧な球体でないことを示しました。これにより、地球もまた完全な球体ではないが、おおよそ球形であるという考えが広まりました。

 

大航海時代の影響

大航海時代の始まりとともに、ヨーロッパ人の世界周航が現実のものとなり、地球が球体であることが実際に証明されました。特に、マゼランの探検隊が世界一周を達成したことで、地球球体説は科学的に裏付けられたのです。

 

マゼランの世界一周

1519年、フェルディナンド・マゼランはスペイン国王の援助を受けて西回り航路でインドへの道を探すために出発しました。彼の探検隊は1522年に世界一周を達成し、地球が球体であることを実証しました。マゼラン自身は途中で命を落としましたが、彼の部下たちが航海を完遂したのです。

 

航海技術の進歩

大航海時代には、航海技術が大きく進歩しました。羅針盤や天測航法、新しい船の設計などが導入され、これにより長距離航海が可能となりました。これらの技術進歩も、地球が球体であるという考えを支持する証拠となりました。

 

大航海時代におけるヨーロッパ人の世界周航は、地球球体説を確実なものとし、地球平面説を完全に否定する歴史的な出来事でした。この時代の科学的発見と航海技術の進歩は、地球の形状についての理解を劇的に変え、人類の知識の地平を広げました。このようにして、地球が丸いという認識は広く受け入れられるようになり、現代の常識となったのです。