ポーランドは歴史上、ヨーロッパ随一といっていいほど、多くの困難と挑戦を経験し、それが現代の政治状況を形成するための礎となっています。ポーランドの政治的変遷は、ヨーロッパ政治史におけるかなり重要で大きなウェイトを占めますので、以下の基本的な流れは抑えておきましょう。
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ポーランドは1385年から1569年まで、リトアニア大公国との同君連合状態にありました。その後1569年にルブリン合同で、ポーランド・リトアニア共和国を結成し、ヨーロッパで最初の議会制度を導入するなど、その優れた政治システム(通称:ポーランド第一共和政)のもと、最盛期にはヨーロッパで1,2を争う国際的地位を確立しています。
しかし18世紀以降は衰退を続け、同世紀末、周辺大国ロシア、ドイツ、オーストリアにより領土を奪いつくされたことで、ポーランドという国としては一度消滅してしまったのです。
第一次世界大戦終結後の、1918年にポーランドはようやく独立を回復します。多民族国家として再建され、共和政(通称:ポーランド第二共和政)を採用していましたが、その地位は安定していなく、多くの国境紛争や内政的な問題を抱えていました。
1939年、第二次世界大戦が勃発すると、ポーランドはナチス、ソ連からの侵略を受け、再び全国土を外国勢力に占領されてしまいます。戦後はナチスの支配からは解放されたものの、ソ連の影響下で共産主義体制が確立されたため、共和国が復活することはありませんでした。
しかし1980年代の終わりには、共産主義体制の行き詰まりにより、労働者が抗議の声をあげるようになります。そして東欧革命と呼ばれる東欧全体の民主化運動の中、1989年に自由選挙が行われた結果、共産主義勢力が一掃され、ポーランドは改めて共和政を取り戻すことができました。この時出来た現在に続く政体はポーランド第三共和政と呼ばれています。
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