「青い血」というのはハプスブルク家に限らず、ヨーロッパでは貴族全般を指し使われていた呼び名ですね。もちろん本当に「血が青かった」わけではありません。
貴族というのは肉体労働をせず、全然日焼けしないので、大体皆、静脈が青く浮き出るほど透き通った白い肌をしていました。貴族はそれを見て、「自分たちには“高貴な血”」が流れているとして「青い血の一族」を自称したのです。
ハプスブルク家は戦略的に近親婚を繰り返したために、遺伝性疾患で代々病弱だったといいます。そして病的なまでに地肌が白く、弱弱しかったことから、ハプスブルク家の場合の「青い血」は「近親婚」の比喩でも使われていました。
肌の白さが際立っているカルロス2世(1661 - 1700年)の肖像画。彼は何重もの近親婚の影響で、生まれつき病弱で、生涯様々な身体障碍に苦しめられた。
この「青い血」という表現は、スペインの貴族たちが自分たちの貴族階級を表すために使ったことから広まったとも言われています。このフレーズはスペイン語で「sangre azul」と表され、ハプスブルク家がスペインに強い影響を持っていた時期に特に使われました。スペインではレコンキスタ時代、キリスト教徒の貴族たちがムーア人(イスラム教徒の北アフリカ系住民)と区別されることを誇りとし、ムーア人とは異なり純粋なゴート族(ゲルマン民族の一派)の血を引くことを強調していました。ゴート族は歴史的に肌が白く、静脈がはっきりと見えることから、これが「青い血」というイメージに繋がったと考えられています。
「青い血」を持つとされた家族は、しばしば自分たちの高貴な出自を示すためにこの表現を使用しました。これは彼らが肉体労働から解放された階級であり、政治や経済において特権的な地位を享受していたことを意味しています。ハプスブルク家もこの伝統に乗り、彼らの高貴な血統を強調するために近親婚を行いましたが、これが遺伝的多様性の欠如を引き起こし、数々の健康問題を家系にもたらしたと言われています。
近親婚によって遺伝子の多様性が低下し、ハプスブルク家では顎の変形や他の健康問題が発生しました。この現象は「ハプスブルク顎」として知られており、顎が突出しており、下唇が厚く、時には話すのに困難をきたすほどでした。このような特徴は、一族の間で遺伝的特徴が固定化された結果だと考えられています。また、近親婚による他の遺伝的問題には、流産や死産の増加、精神疾患、生育不良などが含まれていました。
このような健康上の問題は、当時の医学では理解されず、神秘的あるいは超自然的な要因によるものと考えられていました。しかし、現代の遺伝学により、これらの問題が近親婚に起因する遺伝的要因によるものであることが明らかにされています。
「青い血」の概念はヨーロッパの貴族社会に広く根付いていたもので、その影響は貴族の身分を象徴する服装、言動、礼節にも見られました。このような独自の社会的コードは、貴族階
級が公的な場で自己のアイデンティティを主張する手段となり、貴族と非貴族との間の社会的・文化的隔たりを象徴するものでした。
歴史を通じて、ハプスブルク家のような高貴な家族は政治的な野望と結婚を通じて家系を広げ、その結果としてヨーロッパの歴史に大きな足跡を残しています。彼らの一族の中には多くの国王、女王、皇帝がおり、現代まで影響を及ぼす文化的遺産として語り継がれています。しかし、その栄光には裏面もあり、遺伝的弱点としての近親婚の結果もまた、一族の歴史の一部として記憶されているのです。
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