スキピオとは何をした人?〜ハンニバルを破り救国の英雄に〜

「ザマの戦い」を前に交渉による解決を試みるスキピオとハンニバル

 

スキピオの基本情報

 

本名:プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル
別名:老スキピオ、大スキピオ、大アフリカヌスなど
誕生:前236年
死没:前183年頃カンパニア
称号:アフリカヌス
実績:第二次ポエニ戦争でハンニバルを撃破

 

スキピオ(前236年 - 前183年頃)は古代ローマの将軍で、第二次ポエニ戦争でハンニバルを破りローマを救った人物として有名です。他のスキピオ一族と区別するため老スキピオ、大スキピオ、大アフリカヌスなどとも呼ばれます。名門コルネリウス家の出で、17歳にして戦場を経験し、24歳でアエディリス(按察官)に、31歳で執政官に選ばれるという、異例の速さで出世を遂げました。そして前204年からアフリカ遠征を開始、カルタゴを追い詰めていき、前202年にザマの戦いで名将ハンニバルを破り第二次ポエニ戦争を終結させたのです。彼は戦後「アフリカヌス」の称号を得て、救国の英雄として長く語り継がれることとなりました。

 

スキピオの逸話

  • 幼少期は頻繁に神殿に赴いては神々に祈る信心深い少年で、夢で「お告げ」を聞くこともままあったという。
  • その圧倒的な人気から、法定年齢の30歳未満でアエディリス(按察官)の公職を得た。第二次ポエニ戦争中、巧みな演説で元老院を説得し、25歳という若さでインペリウムを授けられ、さらに軍団の指揮官に抜擢をされた。前205年、31歳にして執政官に選ばれた。
  • 結局交渉は決裂しているが、ザマの戦いを前にスキピオとハンニバルは会見し、和平交渉を試みている。互いに相手の能力を高く評価していたという。戦争に勝利した後、スキピオはハンニバルが戦後処理に必要な人材として許している。
  • カトにより失脚させられ、ローマから追放させられたスキピオは、墓石に「恩知らずの我が祖国よ、お前は我が骨を持つことはないだろう」と恨み節を刻ませたという。