ソ連崩壊は、経済停滞や民族独立運動、政治改革の失敗が重なり、連邦国家が分解した出来事である。1991年末にゴルバチョフ大統領が辞任し、正式に連邦は消滅した。本ページでは、さらに崩壊の経過や各共和国の動向などについても詳しく解説していく。

ソ連崩壊のきっかけ
経済低迷、政治的不安定、民族問題の激化に加え、保守派クーデターの失敗が崩壊を決定的にした。ゴルバチョフの改革は連邦維持に至らなかった。本ページでは、さらに具体的事件や改革の影響などについても詳しく解説していく。
ソ連崩壊のきっかけとなった出来事は色々ありますが、主たるものだと民族紛争、ペレストロイカ、東欧革命などが挙げられるでしょう。
80年代以降、社会主義経済が行き詰まり、ソ連の統制が緩んだことで、それまで力で抑止されていた民族対立が噴出するようになります。とりわけアゼルバイジャンとアルメニアで生じた流血をともなった大規模な民族紛争は、ソ連崩壊を招いたきっかけの1つとされます。
ゴルバチョフが停滞する経済を活性化させるために行った政治改革「ペレストロイカ」も、報道の自由や言論の自由の解禁に繋がり、構成共和国の分離を招きました。
ゴルバチョフは内政不干渉の方針を打ち出し、それまで衛星国であった東欧諸国が独自路線を選択できるようになります。その結果、東欧諸国で次々と非共産政権が誕生(社会主義政権の崩壊)する「東欧革命」が起き、ソ連崩壊への道筋を作ったのです。
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