シラクサの歴史

シラクサの市街

 

シラクサ(伊:Siracusa)は、イタリア・シチリア島南東部に位置する、シチリア州に属する都市です。ギリシア・ローマ時代の史跡が多いことから観光業が発達しており、市街は「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」の名で世界遺産に登録されています。また数学において輝かしい功績を残したアルキメデス生誕の地としても知られます。

 

シラクサの時代変遷

 

古代

古代ギリシア人に建設された植民市「シラクサイ」(「低湿地帯」の意「シラコ (Sirako) 」に由来)が都市の起源です。前4世紀には、シラクサの僭主ディオニュシオス1世がシチリア島全域を統一し、アテナイと肩を並べる強国としてギリシアの覇権を争うようになります。前3世紀以降はローマの支配下に屈しますが、同国の東西交易の重要拠点として引き続き繁栄しました。

 

中世

西ローマ帝国崩壊後は、ヴァンダル族、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)による支配を経て、9世紀以降はイスラム勢力による占領がしばらく続くことになります。またこれ以降シチリアの政治的中心地はシラクサではなくパレルモに移行しました。11世紀になるとキリスト教勢力による再征服(レコンキスタ)が果たされ、13世紀以降はアラゴン王国(のちのスペイン王国)に統治されるようになりました。

 

近代

19世紀後半には、イタリア統一運動(リソルジメント)で成立したイタリア王国の一都市となり、長いこと失っていた“シチリアの首都”としての地位を回復。しかし重要性が増したことで第二次世界大戦(1938〜1945年)では、連合国・枢軸国双方から爆撃を受け、市街は大きな被害を被りました。戦争末期には連合軍に占領され、シラクサの港はイギリス海軍の基地として利用されています。戦後は工業を背景に復興を遂げ、人口増加と都市化が進行していきました。