バーリの路地
バーリ(伊:Bari)は、イタリア南部プッリャ州に属する都市で、イタリア半島をブーツに見立てた場合の“かかと”にあたります。アドリア海に臨む港湾として重要視され、南部イタリアではナポリに次ぐ商工業の中心地となっています。かつては十字軍の出港地や奴隷貿易の中心拠点として大いなる繁栄を享受していました。
バーリは「バリウム」と呼ばれる古代ギリシア人により建設された植民都市に起源を持ちます。もともと漁業・海運により栄えていましたが、前3世紀のローマ征服以降も、東方貿易の拠点として重要視され、活気ある都市であり続けました。
西ローマ帝国崩壊後は、ランゴバルド王国、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)による支配を経て、シチリア王国の支配下に落ち着き、19世紀イタリア王国に併合されるまでその統治が続きました。
第二次世界大戦では、当初イタリアの主要海軍基地でしたが、大戦末期にはこの地を占領した連合軍の主要な供給基地となり、ドイツ軍による空襲を受けるようになりました。その際に撃沈された船の1つ、「ジョン・ハーヴェイ号」から大量のマスタードガスが流出し、多くのアメリカ軍兵士と一般市民が犠牲になった事件は有名です。
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