風呂は都市文明の象徴的設備ともいえ、古代世界屈指の文明レベルを誇ったギリシャでは、入浴が慣習となっていました。古代の風呂といえば、『テルマエ・ロマエ』などの影響もあり、古代ローマのイメージが強いかもしれませんが、実は古代ローマの風呂文化は古代ギリシアの影響を受けて発展したものです。
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古代ギリシア最古の文明の1つ、ミノア文明の遺構からは浴槽が出土しており、同文明が栄えていた紀元前2600年頃〜前1400年頃にはすでに入浴の習慣があったと考えられます。
風呂は元々は魂を清める「禊」的な目的が強かったと考えられていますが、ポリス(都市国家)時代に移行すると、熱気浴や床暖房などを備えたバラネイオン、ギムナシウムと呼ばれる公共浴場が登場し、病気療養や身心の癒しなど、現代とそう変わらない目的で使われるようになります。
古代ギリシアの医者ヒポクラテス(前460頃〜前375頃)は黄疸やリュウマチの治療に入浴が有力であるとして推奨していました。
ギリシアの温泉文化がローマに伝わると、想定外の人気を得ることとなり「テルマエ(termae)」と呼ばれる国家が投資する大規模な公衆浴場すら作られるようになりました。ローマ人があまりに風呂に夢中になったもので、温泉に浸かるという生活習慣が若者を堕落させるとして、入浴文化に批判的な論者も登場するほどでした。
パラネイオンは、前5世紀前半にアテナイに登場した公衆浴場です。円型に個人用のヒップバスが配置されており、1人ずつバスタブの中に座り、頭からお湯(窯で沸かした温水)をかけてもらうタイプでした。有料ですが比較的安価に利用できたようです。
ギムナシウムは運動施設に併設されていた水浴室です。前6世紀頃の陶器画にはギムナシウムで汗を流す男性の様子が描かれているなど、訓練や試合の後汗を流す習慣がすでにあったのです。シャワーの元となった設備です。
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