イタリア王国(伊:Regno di Italia)は、1861年から1946年まで存続した現イタリア共和国の前身国家です。18世紀中期から始まるサルデーニャ王国主導のイタリア統一運動(リソルジメント)の結果成立し、第二次世界大戦後、国民投票による王政廃止(共和政へ移行)にともない滅亡しました。
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イタリアは西ローマ帝国崩壊(5世紀中頃)以来、小国分立と周辺王国の利権争いにより、政治的統一とは無縁な場所でした。しかし19世紀にはいると、「イタリア民族による統一国家樹立」を目指すイタリア統一運動が活発化します。そしてこの運動を主導したサルデーニャ王国が、ハプスブルク家やブルボン家といった外部勢力を半島から駆逐することで、1861年には統一を完成、イタリア王国を成立させたのです。千人隊率いたジュゼッペ・ガリバルディは、イタリア統一において最も顕著な功績を挙げた軍人として知られます。
イタリア王国はサルデーニャ王国から王家や憲法、法律、政治制度などを引き継ぎ、拙速に全国民を従わせようとしたため、必然的に中央集権的な体制となり、これはのちにファシストが台頭する土壌となります。1920年代にはムッソリーニ率いるファシスト党が政権をとり、侵略戦争も辞さない強権的な国家と化したことで、ヨーロッパ情勢の緊張を生み、第二次世界大戦の原因の一つになりました。
1939年、第二次世界大戦が勃発すると、イタリアもナチスドイツに呼応し枢軸国側として参戦しますが、戦況悪化を受けて1943年には降伏、途中から連合国に鞍替えしています。そのため結果的には「戦勝国」になりましたが、戦後の傷痕は深く、国王はファシストに協力した責任を問われ、1946年、王政廃止を問う国民投票にかけられます。その結果、王政廃止(および王族の国外追放)と共和政への移行が決定し、王政国家としてのイタリアはその歴史に幕を閉じたのです。
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