戦間期のイギリス

第一次世界大戦イギリスは戦勝国となりましたが、長期化した戦争で疲弊し、国際社会における首位の座から陥落してしまいました。アジア・太平洋における覇権はアメリカや日本に奪われ、保有する広大な植民地を維持するだけの経済基盤ももはやなく、産業革命来続いた「帝国の世紀」は終わりを告げたのです。となると戦後の課題は、いかに復興し、二度と戦争が起こらないよう、諸国と協調の道をとるかでした。

 

ナチスドイツに対する宥和政策

ドイツのズテーテン地方併合を認めたミュンヘン会談は「宥和政策」の典型とされる

 

29年の総選挙で史上初めて労働党政権が誕生し、その課題に挑戦しましたが、世界恐慌にうまく対応できず短命に終わっています。保守党が再び政権を握りましたが、

 

  • 世界大戦再来に対する恐怖
  • 共産主義勢力ソ連に対する防波堤として利用できる

 

などの理由で、ヨーロッパ本土に蔓延するファシズム勢力の拡大に対し宥和政策をとりました。

 

その結果、再軍備宣言、オーストリア併合と増長を続けたナチス・ドイツが、1939年ポーランドに侵攻したことで、イギリスはフランスと共に対独宣戦を行い、第二次世界大戦の火蓋を切ることとなるのです。