ハバロフスクの歴史

ハバロフスクの変容大聖堂

 

ハバロフスクは、ロシア極東部、アムール川とその支流ウスリー川の合流点に位置する河港都市です。ハバロフスク地方の行政・交通・軍事の中心かつ、ウラジオストクに次ぐ極東ロシア第二の都市で、産業面では木材の集散地として重要である他、造船・機械・石油精製・食品加工など各種工業がさかんに行われています。

 

ハバフロスクの成り立ち

 

都市の発祥

1652年、ロシア帝国のアムール川流域進出にともない、探検家ハバロフがこの地に要塞を建設するも、清国とのネルチンスク条約により植民は一旦中止。それからしばらく経った1858年再度進出し、1860年北京条約でアムール川東岸地域を清から割譲、軍事要塞を建設したことで、都市化が進行していきました。

 

都市の名前の由来

 

都市は初めて要塞を築いたハバロフの名にちなみ「ハバロフスカ」と名付けられ、1893年に現在の名称である「ハバロフスク」に改称されています。

 

都市の発展

20世紀初頭、アムール川を渡るシベリア横断鉄道(アムール川鉄橋)が通じたことで、交通の要地として急速に発展。ロシアの極東進出の拠点となりました。ロシア革命後はソ連極東部の拠点となるとともに、都市機能がいっそう充実していき、ロシア内戦が始まると日本軍に占領されるも(シベリア出兵)、反革命軍崩壊にともない再びソ連支配下におさまりました。