トリエステの歴史

トリエステ海岸の城

 

トリエステ(伊:Trieste)は、イタリア北東部、スロベニアとの国境地点に位置する、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の州都です。アドリア海に面した港湾都市で、地中海と中央ヨーロッパを繋ぐ「玄関口」にもあたるため、古来より民族の出入りが頻繁に繰り返されてきました。海運業、工業(造船・製鉄)などがさかん。

 

トリエステの時代変遷

 

古代

トリエステは、古代ケルト人により建設された集落を起源とし、前2世紀以降はローマ支配下のテルゲステ(Tergeste)としてアドリア海交易の要所として発展。

 

中世

西ローマ帝国崩壊後は、ランゴバルド王国東ローマ帝国フランク王国による支配を経て、12世紀には自由都市となっています。13世紀にはヴェネツィアに、14世紀以降はオーストリアに支配されましたが、地中海への出口としての重要性は不動で、引き続き海港都市として栄えていました。

 

近代

第一次世界大戦(1914〜18年)でオーストリア帝国が崩壊したことを受け、イタリア王国に編入されました。しかしトリエステにはイタリア系住民だけでなく、ユーゴ系の住民も多かった為、戦後はイタリアとユーゴスラビアとの間で領有権を巡る争いが起こり、1954年のロンドン協定で、北部と港部分はイタリア領に、南部はユーゴスラビア領となることが決定し現在に至っています。