
キエフの歴史
キエフは9世紀にキエフ大公国の中心として建設され、東スラヴ世界の母なる都市と呼ばれた。中世以降はモンゴルの侵攻や周辺大国の支配を受けながらも重要性を保ち続けた。本ページでは、キエフの歴史的発展や宗教的意義、東欧史での役割を理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。
キエフの街並み
ウクライナの首都は、同国北中部、ドニエプル川中流の沿岸に位置する都市キエフ(Kiev)です。市域面積約830平方キロメートル・人口約290万人を擁するウクライナ最大の都市となります。緑地面積が市域の半分以上を占める世界有数の「緑溢れる首都」であり、ペチェルスカヤ大修道院・聖ソフィア寺院など歴史的建造物も立ち並ぶ「古都」としても知られています。
キエフは「ロシア諸都市の母」と呼ばれるほどの古い街で、430年頃ルーシ人に建設とされた都市を起源としています。9世紀にキエフ公国の首都ととして発展しますが、13世紀以降はモンゴル、ポーランド、ロシアによる支配が続き、目立つ繁栄はありませんでした。
20世紀にウクライナが独立するとその首都となりますが、第2次世界大戦でドイツ軍に占領され、市の半分が破壊されるなど大きな痛手を負うことになります。戦後はアメリカと世界を二分する超大国となったソ連の支配下に入りますが、その財政支援のもといち早く復興。
91年にウクライナがソ連から独立すると、今度は「ウクライナ共和国」の首都として再スタートすることとなり、現在に至るまで同国の政治的・文化的・経済的中心地であり続けています。
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