ストラスブールの歴史

ストラスブールの歴史

ストラスブールは古代ローマの要塞都市から始まり、中世には自由都市として繁栄した。フランスとドイツの国境に位置するため、両国の支配を受けて文化的に多様な都市となった。本ページでは、ストラスブールの歴史的変遷や国際的役割、文化的意義を理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。

ストラスブールの歴史

ストラスブールの水路


ストラスブール(Strasbourg)フランス北東部に位置するバラン県の県都です。東部最大の都市圏であり、アルザス地方における道路・鉄道・水路交通の要衝。さらに地理的に西ヨーロッパ中央部に位置することから、ヨーロッパ審議会ヨーロッパ議会の本拠地にもなるなど、欧州政治的にも重要な都市といえます。また歴史的にドイツ領時代が長いため、食文化や街並みをみても、“ドイツ風”の色彩が強い都市としても知られます。



ストラスブールの産業

ストラスブールでは、古くからライン川の水運を活かした交易がさかんで、主にドイツルール地方からは石炭や鉄鉱石を輸入し、都内からは穀物や精油を輸出しています。ストラスブール大聖堂 、ストラスブール大学、世界遺産に登録されている旧市街など伝統建築物も多いことから観光業もさかんです。


ストラスブールの成り立ち

古代ローマ時代に建設された都市アルゲントラートゥム(Argentoratum)に起源を持ち、ローマ時代はゲルマニアとの国境を守る軍事的要衝として重要視されました。西ローマ帝国崩壊後(5世紀末~)はフランク王国の支配下に入り、「街道の町」の意で「ストラテブルグム(Strateburgum)」と呼ばれるようになり、これが現都市名の語源になりました。


ドイツ領時代

13世紀になると神聖ローマ帝国(ドイツの原型)の支配下に入り、自由都市として発展するように。17世紀後半フランスに征服されるも、普仏戦争(1870~71年)の結果ドイツ帝国領となり、同国の急激な工業発展とともに都市人口も急増していきました。第一次世界大戦後はフランスに、第二次世界大戦勃発で再度ドイツに支配権が移りますが、1944年、連合国によりドイツ勢力が掃討された結果、フランス領として確定し現在に到っています。