カルタゴは前6世紀頃に西地中海の海上覇権を確立してからというもの、地中海世界では他の追随を許さない強国でした。少なくとも第一次ポエニ戦争前までの国力比較は、カルタゴ>ローマで、政治的統一が不十分で内戦に苦しんでいたローマは、強力な海上戦力を持ち、統一国家として政治的に安定していたカルタゴに対し大分水をあけられていました。
しかしローマは第一次ポエニ戦争の少し前、マケドニア王国との戦争(第二次マケドニア戦争:前200年〜前197年)に勝利し、ギリシャ全域を事実上支配下に置いています。同時にギリシャ人の優れた造船能力を手に入れたことで、ローマの海軍力は飛躍的に向上しました。
そしてポエニ戦争の発端はシチリア島の領有をめぐる戦いなので、海上を制した方が勝つのが必然です。ローマは第一次ポエニ戦争が始まると、ギリシャ征服によりパワーアップした海上戦力に加え、特殊な乗船器具カラス装置(コルウス)による乗り込み戦術を駆使して、当時海上最強のカルタゴを倒してしまったのです。
カルタゴとローマの初の本格的海戦であり、カラス装置(コルウス)の最初の使用例として知られるミラエ沖の海戦の司令官ガイウス・ドゥイリウス
第一次ポエニ戦争に勝ったローマは、シチリア島という初の海外属州を手に入れ、この島の支配を足掛かりに、地中海での影響力を強めていきます。カルタゴの持っていた利権を次々と奪っていき、第二次ポエニ戦争の勝利で、両国の国力の逆転は決定的なものとなりました。
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