現在4年に1度開催されるオリンピックの起源は、前8世紀から前4世紀にかけて古代ギリシアで行われていたオリンピア大祭、いわゆる古代オリンピックにあります。ゼウスの神殿のあるエーリス地方・オリンピアで当時も4年に1度開催され、ギリシア世界各地から選手が集結し、身体能力を競っていました。
古代ギリシア世界は紀元前2世紀に共和政ローマに征服されますが、その後も古代オリンピックは続けられました。しかしローマの影響が強くなってからというもの、賭博や不正が横行したり、皇帝が競技に参加して権力で無理やり優勝をもぎ取るなど、オリンピックの精神は著しく棄損されていきました。
ローマ時代に入ると、オリンピックの純粋な競技精神は次第に変質していきました。ローマの貴族や皇帝たちは、競技を自らの権力の誇示や娯楽として利用し始めました。特にネロ皇帝は、音楽や詩の競技にも参加し、自らが勝者と宣言させることもありました。このような行為は、オリンピックの神聖さを損ねるものでした。
またオリンピアはデルポイに並び、古代ギリシアにおける宗教上の中心地であり、オリュンポス12神の最高神ゼウスの神殿があります。つまるところ古代オリンピックというのは「ゼウスを称える祭典」であったといえるため、古代ローマ末期にキリスト教が広まるにつれ、「異教の神」を称えるオリュンピア祭への風当りは強くなります。
そして392年テオドシウス帝がキリスト教の国教化とともに出した異教禁止令により、翌393年の第293回大会を最期に前776年の第一回大会から1169年にわたって続けられた古代オリンピックの歴史は幕を閉じることになったのです。
ローマ人はギリシアのスポーツに影響を受けつつも、自らの文化に合わせたスポーツや娯楽を楽しみました。例えば、剣闘士の試合や戦車競技はローマ独自のもので、コロッセオやサーカス・マキシムスで大規模な観客を集めました。これらのイベントは、ローマ市民にとって重要な娯楽であり、政治的な意味合いも持っていました。
古代オリンピックはその後、近代オリンピックとして復活するまで長い間忘れられていましたが、その精神と伝統は現代のスポーツ文化にも影響を与えています。1896年にギリシアのアテネで開催された第一回近代オリンピックは、古代オリンピックの精神を継承し、平和と友好の象徴として世界中で愛されています。
古代ローマでも行われたオリンピックやその他のスポーツ競技は、当時の社会や文化、政治の一端を垣間見る重要な要素となっており、その歴史を理解することで、現代のスポーツ文化の起源と発展をより深く知ることができます。
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