ヘンリー8世(1491年 - 1547年)は、テューダー朝第2代イングランド王で、教皇との対立を発端にイングランドにおける宗教改革を主導した人物として知られます。彼はもともと熱心なカトリック教徒だったため、宗教改革にともなうプロテスタント台頭には否定的で、「カトリックの保護者」として教皇から好意的にみられていたくらいでしたが、離婚問題のこじれで一転激しく対立するようになりました。
そんな中、1534年「国王至上法」を発して、イングランド国教会をローマ教会から分断。修道院は解散して財産を没収するなどし、強引な宗教改革を推進したのです。彼による一連の改革でイギリス絶対王政が確立され、ヨーロッパ辺境の小国に過ぎなかったイギリスが、世界に覇を唱える「大英帝国」へと変貌を遂げる道筋が作られた功績は認められるものの、妃を6人も鞍替えし、気にくわない側近は容赦なく処刑するなど、無慈悲な人物だったことでも有名です。
ヘンリー8世の死因は一言でいえば病死です。晩年、暴飲暴食による肥満に加え、落馬で負った怪我の後遺症に苦しめられた末、1547年ホワイトホール宮殿で死亡したのです。イギリス絶対王政の基礎を築いた人物にしてはあっけない幕閉じですが、妻をとっかえとっかえし、気にくわない者は妻含め次々と処刑した残忍な暴君にしては、暗殺されなかっただけ贅沢過ぎる最期ともいえます。
なおヘンリー8世の妻に流産や死産が多かったのは、彼の梅毒によるものだという説が信じられていましたが、近年はこれが否定され、Kell+という健康な子供が出来にくい血液型のせいであったといわれています。
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