バスコ・ダ・ガマとは何をした人?~インド航路の発見~

バスコ・ダ・ガマとは

バスコ・ダ・ガマは15~16世紀のポルトガル人航海者であり探検家であった。喜望峰経由でインド航路を開拓したことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

バスコ・ダ・ガマとは何をした人?~インド航路の発見~


バスコ・ダ・ガマの基本情報

 

表記:Vasco da Gama
誕生:1460年頃ポルトガル
死没:1524年インド
後援:幸運王マヌエル1世
功績:インド航路を発見し、香辛料貿易による莫大な富をポルトガルにもたらす。


バスコ・ダ・ガマ(1460年頃 - 1524年)はポルトガルの探検家・航海者で、喜望峰回りのインド航路の発見者として知られています。1497年幸運王マヌエル1世の命を受け、リスボンを出航。アフリカ南岸の喜望峰を中継し、翌年インドに到達しました。


彼が海路によるアジアへの交易ルートを確立したことで、ポルトガルはアジア香辛料貿易へ直接介入することができるようになり、16世紀には「ポルトガル海上帝国」とも呼ばれる交易圏をアジアに構築したのです。なお彼は24年にインド総督に着任し、同年インドにて没しています。


バスコ・ダ・ガマの発見した西回り航路とは

大航海時代の主要探検家の一人バスコ・ダ・ガマは、インドへの西回り航路を発見した業績で知られています。西回り航路というのは、大西洋から航海に出て、アフリカ南端の喜望峰を経由し、インドへ到達する航路のことです。


この西回り航路の発見により、ヨーロッパの商人はオスマン帝国の支配する東地中海を経由しなくても、インドに到達できるようになりました。そして出航の起点となったポルトガルは、インドとの香辛料貿易により、16世紀に繁栄の頂点を迎えることになるのです。


ポルトガルはインド航路の開拓に際し、その障壁となるムスリム商人を排除する為に、1509年、ディウ沖の海戦でエジプト海軍を破り、アラビア海の制海権を獲得しています。