西ローマ帝国というのは、395年にローマ帝国が分裂した結果生じた、ローマ帝国の西方領のことです。ローマの命脈を直接受け継ぐ国家ですが、ゲルマン民族の侵入により476年に滅亡しています。
西ローマ帝国の滅亡後、その跡地にはゲルマン諸王国が乱立しましたが、そのうちフランク人により建設されたフランク王国がガリアに勢力の基盤を築き、強大化していきます。
フランク王国はやがて西ヨーロッパ全域を支配するほど大きくなり、ローマの伝統を継承。800年にはフランク王カールがローマ教皇より戴冠を受け、正当なローマ帝国の皇帝として認められました。事実上の西ローマ帝国の復活といえます。
しかしカール大帝の死後、ヴェルダン条約で王国領は西フランク王国・中部フランク王国・東フランク王国に分裂します。そして962年、今度は東フランク王オットー1世がローマ皇帝として戴冠を受け、これによって成立したのが神聖ローマ帝国なのです。
神聖ローマ帝国はローマ帝国の後継を自称していましたが、その納める領域はおおむね現在のドイツ地域にあたり、ローマ帝国の心臓部であったローマの街は含まれていません。
そのため西ローマ帝国と異なり、正当なローマ帝国の命脈を受け継いでいるとはいえませんでした。神聖ローマ皇帝もこれを自覚していたため、イタリア支配に野心を燃やし、いわゆる「イタリア政策」に傾倒していくようになるのです。
成立時(395年)の西ローマ帝国の支配領域(画像左)と成立時(962年)の神聖ローマ帝国(画像右)の支配領域
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