結論からいうと、絶対王政確立→清教徒革命→名誉革命という順番になります。以下の歴史的流れを理解すれば忘れることはないと思います。
まずイギリスにおける絶対王政は、百年戦争(1337年〜1453年)・薔薇戦争(1455年〜1487年)後の封建領主の没落にともない形成が始まり、テューダー朝ヘンリー8世(在位:1509〜1547)が確立させました。
イギリスでは1215年成立のマグナ・カルタ(大憲章)にもとづき、国王にも議会を尊重することが求められていましたが、絶対王政の成立にもとづき、その理念はしばらく忘れ去られることとなります。
チャールズ1世(在位1625年〜49年)が議会無視の専制政治を行った為、清教徒を中心とした議会派と王党派の内戦「清教徒革命(1642年〜1649年)」が勃発しました。鉄騎隊を率いたクロムウェルの活躍もあり王党派が打倒され、史上初の共和政体が誕生しました。
クロムウェルの死後王政復古するも、ジェームズ2世(在位:1685年〜1688年)がまたも議会無視の絶対王政を築こうとしたため、議会はオラニエ公ウィレムの力を借りて、ジェームズ2世を追放します。
その後、「権利の宣言」を受け入れることを条件にウィレムとその妻メアリを国王として即位させ、立憲君主制を実現。これが名誉革命であり、無血により完遂されたためこのように呼ばれています。
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