第一次世界大戦は、1914年から1919年まで続いた、当時の主要な強国ほとんどをまきこんだ国際戦です。はじめはヨーロッパに限定した戦いでしたが、同盟関係と各国の政治的思惑から対立が連鎖し、アフリカ、アジアと世界規模に戦線拡大していきました。
第一次世界大戦は、戦闘機、潜水艦、戦車、毒ガスなどあらゆる新しい兵器が投入され、世界規模で展開された人類史上初の総力戦です。この戦いは帝国主義列強の対立を象徴しており、その筆頭であったイギリスにとって非常に大きな影響をおよぼした戦いでした。
1914年サラエボ事件が起こり、オーストリアがセルビアに宣戦布告すると、イギリスは三国協商(イギリス、フランス、ロシア)の一員として第一次世界大戦に参戦。三国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)勢力と真向から衝突したのです。
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イギリスとドイツの対立は第一次世界大戦前から、3C政策と3B政策の対立、軍拡(建艦)競争の激化などで如実に現れていました。ドイツとの対立激化が、大陸の情勢にはあまり関与しない「光栄ある孤立」を放棄し、フランスやロシアと三国協商を結ぶという方針転換にも繋がっています(それに対しドイツは、オーストリア、イタリアの三国同盟を結成し対抗)。
それでも開戦当初は中立を目指そうとしていたのです。屈指の工業生産力を持ち、今や列強の一員となったドイツと戦いたいとは誰も思いません。しかしそれを見事に放棄させたのは、ドイツによる中立国ベルギー侵略でした。
孤立主義をとるといっても、大陸の勢力均衡が崩れ、自国の安全が脅かされるとなれば話は別です。ベルギーというのはイギリスにとって「最後の砦」のような場所ゆえ、1830年の独立以来、同盟を維持すると同時に安全保障を提供してきました。そんな場所をあっさり落とされたとなっては、イギリスも黙ってみているわけにはいかなくなったのです。
宣戦布告後、イギリスはフランスに軍を派遣し、西部戦線でドイツ軍と対峙しました。当初は短期決戦で終結する見通しでしたが、膠着状態となり、予想外の長期戦に。さらにドイツの同盟国オスマン帝国の参戦により、バルカン半島から西アジアにまで戦線は拡大し、イギリスは軍事力、工業力、経済力、国のありとあらゆるリソースを戦争に注ぎ込む総力戦に移行しました。
序盤はドイツ軍が圧倒的に優勢でしたが、いかんせん資源・生産力で劣っていたためしだいに劣勢にたたされ、中盤では中立を宣言していたアメリカが参戦したことで、ドイツの敗北が決定的なものとなりました。1918年にドイツと連合国で休戦協定が締結され、連合国の勝利で戦いは終結。1919年ドイツとの講和条約ヴェルサイユ条約が調印され、1920年に発効しました。
結果的に戦勝国となったものの、長期におよぶ総力戦はイギリス経済を疲弊させ、かつてパックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)と称された世界帝国としての地位をアメリカに譲ることとなります。また戦争中、当時のイギリスを治めていたハノーヴァー朝は、敵国であるドイツ語由来の名前を嫌い、ウィンザー朝と改称しました。
国外では、戦争の過程でロシア革命でロシア帝国が崩壊し、ソ連が成立。さらにドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国も崩壊するなど、戦前と戦後でヨーロッパをとりまく情勢はガラリと変わってしまいました。戦後の国際秩序と再発防止を目的とした、国際連盟が発足し、協調の道が模索されたものの、対立の根は深く、第二次世界大戦に繋がりました。
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