イギリスからみた第一次世界大戦

第一次世界大戦は、1914年から1919年まで続いた、当時の主要な強国ほとんどをまきこんだ国際戦です。はじめはヨーロッパに限定した戦いでしたが、同盟関係と各国の政治的思惑から対立が連鎖し、アフリカ、アジアと世界規模に戦線拡大していきました。戦闘機、潜水艦、戦車、毒ガスなどあらゆる新しい兵器が投入され、世界規模で展開された人類史上初の総力戦です。この戦いは帝国主義列強の対立を象徴しており、その筆頭であったイギリスにとって非常に大きな影響をおよぼした戦いでした。ここではイギリスからみた第一次世界大戦をわかりやすく解説していきます。

 

 

 

参戦のきっかけはドイツとの対立

19世紀後半のドイツ。国内では産業革命が起こり、急速に国力を伸ばしていました。ついには海外に進出するようになり、イギリスの持っていた植民地を脅かします。両国は対立するようになり、イギリスは対ドイツの安全保障として英仏協商、ロシアと英露協商を締結し、三国協商を結成。それに対してドイツは、オーストリア、イタリアの三国同盟を結成し対抗しました。
そのような情勢の中、1914年セルビアでサラエヴォ事件が起こり、オーストリアがセルビアに宣戦布告。三国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)と三国協商(イギリス、フランス、ロシア)の二陣営に分かれる構図になりました。

 

宿敵オスマン帝国も参戦

イギリスはドイツが中立国ベルギーに侵略したことを口実としドイツに宣戦布告。軍をフランスに派遣し、西部戦線を張り、ドイツ軍に対峙しました。当初は短期決戦で終結する見通し、膠着状態となり、双方で50万人以上の死者が発生しました。さらに宿敵オスマン帝国の参戦により、バルカン半島から西アジアの広い範囲に戦線は拡大し、イギリスは軍事力、工業力、経済力、国のありとあらゆるリソースを戦争に動員することになりました。

 

終戦と講和

当初はドイツ軍が圧倒的に優勢でした。しかし資源・生産力で劣っていたドイツがしだいに劣勢にたたされ、当初中立を宣言していたアメリカが英仏に軍事支援したことで、ドイツの敗北が決定的なものとなりました。1918年にドイツと連合国で休戦協定が締結され、連合国の勝利で戦いは終結。1919年ドイツとの講和条約ヴェルサイユ条約が調印され、1920年に発効しました。

 

戦争の影響

結果的に戦勝国となったものの、長期におよぶ総力戦はイギリス経済を疲弊させ、かつてパックス=ブリタニカ(イギリスによる平和)と称された世界帝国としての地位をアメリカに譲ることとなります。また戦争中、当時のイギリスを治めていたハノーヴァー朝は、敵国であるドイツ語由来の名前を嫌い、ウィンザー朝と改称しました。

 

参照:ハノーヴァー朝〜ウィンザー朝が成立するまで【世界史】

 

国外では、戦争の過程でロシア革命ロシア帝国が崩壊し、ソ連が成立。さらにドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国も崩壊するなど、戦前と戦後でヨーロッパをとりまく情勢はガラリと変わってしまいました。戦後の国際秩序と再発防止を目的とした、国際連盟が発足し、協調の道が模索されたものの、対立の根は深く、第二次世界大戦に繋がりました。