ピョートル3世とは何をした人?〜プロイセン王フリードリヒ2世を敬愛〜

 

ピョートル3世の基本情報

 

本名:カール・ペーター・ウルリヒ
誕生:1728年キール(ドイツ)にて
死没:1762年サンクトペテルブルク(ロシア)にて
王朝:ロマノフ朝
在位:1762年 - 1762年
政策:徹底した親プロイセン外交

 

ピョートル3世(1728年 - 1762年)はロマノフ朝第7代ロシア皇帝で、母帝エリザベータの死にともない即位しました。プロイセン王フリードリヒ2世を敬愛している彼は、即位するやいなや親プロイセン路線をとり、七年戦争から撤退。戦争で多大な犠牲を払って勝ち取った領土をプロイセンに返還したり、正教会に圧力を加えるなどしたため、皇后エカチェリーナを支持する近衛兵にクーデターを起こされ、即位からわずか半年ほどで退位。その1週間後、エカチェリーナの側近オルロフ伯爵により殺害されました。

 

ピョートル3世の死因

ピョートル3世の死因はクーデターによる他殺です。彼は即位後、フリードリヒ2世への崇拝にもとづく親プロイセン外交を展開し、当時継続中の七年戦争の講和条約を締結し、ロシアが多くの犠牲を払い勝ち取った領土を全てプロイセンに返還してしまいました。彼のロシア人軽視の施政が貴族の反感を買い、皇后エカチェリーナの擁立を支持する部隊にクーデターを起こされたのです。クーデターでいきなり殺害されたわけではなく、最初は投獄され、その処遇についても決定していませんでしたが、最終的には殺害されることとなりました。