1848年革命が失敗した理由とは?

1848年革命はフランスをはじめとしてヨーロッパ各地に広がった自由主義を求める一連の革命を指します。

 

この革命によって、フランス革命前のヨーロッパ秩序(絶対王政社会)に戻そうとする、いわゆるウィーン体制が崩壊しました。

 

その一方で、その後の社会体制で新たな対立が発生し、結果的には失敗に終わっています。今回は、1848年革命の概要と失敗の理由について簡潔に解説します。

 

 

1848年革命とは?

1848年革命の始まりはフランスです。当時の七月王政では特権階級を優遇する政治が行われ、市民らが選挙権を持つことはありませんでした。

 

これに対して幅広い市民層が選挙法の改正を求めて運動を開始し、取り締まりを受けながら最終的に市民や労働者が蜂起、七月王政を倒し、臨時政府を成立させました。

 

このフランスの革命を受けて、ドイツでも各諸邦で民衆が蜂起し、出版の自由や自由主義内閣などの「三月要求」を掲げました。これにより、各国に自由主義者の指導する「三月内閣」が発足しました。

 

ウィーンではウィーン体制の指導者メッテルニヒの退任を求めて、市民・学生が蜂起します。このウィーン三月革命で憲法制定国会の召集とメッテルニヒの解任が実現し、ウィーン体制は崩壊しました。

 

1848年革命はなぜ失敗した?

一見、絶対王政の打倒という結果を受け、1848年革命は成功したようにも見えますが、実際は革命の反動が各国で見られました。

 

フランスでは普通選挙の実施によって当初貴族階級とブルジョアジーという対立構図からブルジョアジー対労働者階級という形に変化し、六月暴動という階級闘争を引き起こしました。

 

この階級の対立はドイツでも見られ、そこにはマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」が影響しました。

 

このような革命の退潮傾向は各国で見られました。これは各国の運動が次第に社会主義を帯びたものへ変化し、それを弾圧したことで革命が後退したことが理由にあります。