ウェールズの歴史年表

ウェールズは、イギリスの南西部に位置する歴史的な地域であり、独自の文化と言語を持つ地域です。ウェールズの歴史は、古代から現代に至るまで多様な変遷を経てきました。ここでは、ウェールズの歴史を年表形式で振り返ってみましょう。

 

 

古代ウェールズ

古代ウェールズは、多様な文化と影響を受けていた地域でした。この時期、ウェールズにはケルト人が居住しており、彼らは強力な部族社会を築きました。ケルト人は高度な金属加工技術を持ち、青銅器や鉄器を製造し、農業や牧畜を中心とした生活を営んでいました。彼らの文化は、特に言語や宗教において強い影響を与えました。

 

紀元前1世紀、ローマ帝国がブリテン島に進出し、現在のイングランドを征服しましたが、ウェールズは完全にはローマの支配下には入りませんでした。それにもかかわらず、ローマ人は道路や要塞を建設し、ウェールズの一部地域で軍事的存在を示しました。ローマの影響は、都市の発展や貿易の拡大に寄与し、ローマ文化とケルト文化の融合が進みました。

 

ローマ帝国の衰退後、ウェールズは独自の王国が形成され、ピクト人やアイルランドのゲール人など周辺民族との交流や対立が続きました。特に5世紀には、アングロサクソン人の侵攻に対抗するため、ウェールズの諸王国が団結を図りました。この時期のウェールズは、政治的に分裂していたものの、文化的には強い独自性を保持し続けました。

 

このように、古代ウェールズは多様な文化と影響を受けながらも、独自の社会構造と文化を発展させた地域です。

 

前5世紀〜1世紀 ケルト人の到来

紀元前5世紀頃、ケルト人がウェールズに定住し始め、彼らの文化と社会構造がこの地域に根付きました。ケルト人は、部族社会を形成し、鉄器時代の技術を持ち込みました。

 

1世紀〜5世紀 ローマ時代

紀元1世紀、ローマ帝国がブリテン島を征服し、ウェールズもその一部となりました。ローマ人は道路や要塞を建設し、経済とインフラの発展を促進しました。しかし、ウェールズの山岳地帯はローマの完全な支配を免れました。

 

中世ウェールズ

中世ウェールズ(5世紀から15世紀)は、政治的分裂と文化的発展が特徴です。ローマ帝国の崩壊後、5世紀から9世紀にかけて多くの小王国が形成されました。これらの王国は、アングロサクソンやヴァイキングの侵攻に対抗しながら、独自の文化を発展させました。

 

9世紀から11世紀には、グウィネズやポウィスなどの強力な王国が他の小王国を統合しようと試みましたが、ノルマン・コンクエスト(1066年)以降、ノルマン人がウェールズに侵入し、城を築いて領土を拡大しました。13世紀には、リリウェリン・アプ・グリフィズがウェールズの統一を目指しましたが、1282年にエドワード1世によって征服されました。

 

14世紀から15世紀には、オウェン・グリンドゥールの反乱(1400年-1415年)が起こり、ウェールズの独立を一時的に目指しましたが、最終的には失敗しました。この時代には、詩人や吟遊詩人が活躍し、ウェールズ語の文化が栄えました。

 

中世を通じて、ウェールズは政治的には分裂と征服の歴史を辿りながらも、独自の文化とアイデンティティを保持し続けました。

 

5世紀〜8世紀 アーサー王伝説の時代

ローマ帝国の撤退後、ウェールズでは小王国が成立し、アーサー王伝説が生まれました。この時代、キリスト教が広まり、修道院が建設されました。

 

8世紀〜10世紀 ヴァイキングの襲撃

ヴァイキングがウェールズを襲撃し、沿岸部に定住地を築きました。この時期、ウェールズの小王国は防衛と統治に苦慮しました。

 

1282年 エドワード1世による征服

イングランド王エドワード1世がウェールズを征服し、ウェールズの諸侯を打ち破りました。これにより、ウェールズはイングランド王国に併合され、エドワード1世はカーナーヴォン城などの要塞を築きました。

 

近世ウェールズ

近世(16世紀から産業革命まで)のウェールズは、大きな変革の時代でした。16世紀には、イングランドとの政治的・宗教的な統合が進みました。1536年と1543年の「ウェールズ法」により、ウェールズは正式にイングランドに併合され、英法が導入されました。これにより、ウェールズの自治は失われ、イングランドの行政・司法システムに組み込まれました。

 

17世紀には、清教徒革命と王政復古がイギリス全体を揺るがしました。ウェールズもまた、ロイヤリスト(王党派)と議会派の間で激しい対立が生じました。内戦の結果、ウェールズは一時的に共和制下に置かれましたが、1660年の王政復古により、再び王政が復活しました。

 

18世紀に入ると、ウェールズは産業革命の影響を受け始めました。特に南ウェールズでは、石炭と鉄鋼の産業が急速に発展し、経済と社会に大きな変革をもたらしました。炭鉱と製鉄所の発展に伴い、都市化が進み、多くの人々が農村部から都市部へと移住しました。

 

この時代、ウェールズ語と文化も影響を受けました。英語の普及が進み、ウェールズ語の使用が減少しましたが、同時にウェールズ語の文学や詩は根強く残り、19世紀にかけて復興の兆しを見せました。

 

近世のウェールズは、政治的・経済的な統合と産業革命による社会変革が進行した時代であり、ウェールズの近代化と発展に大きな影響を与えました。

 

1536年 ウェールズ法

ウェールズ法により、ウェールズはイングランドに完全に併合され、統一された法体系と行政が導入されました。これにより、ウェールズの自治は事実上消滅しました。

 

17世紀 ピューリタン革命と内戦

イングランド内戦の影響を受け、ウェールズでもロイヤリストと議会派の間で対立が生じました。ウェールズは主にロイヤリストを支持しましたが、議会派の勝利によりイングランドと同様に共和制が一時的に確立されました。

 

18世紀 産業革命

産業革命の影響で、ウェールズでは炭鉱や鉄鋼業が発展し、経済が急速に成長しました。人口も増加し、都市化が進みました。

 

近代ウェールズ

近代のウェールズは、大きな変革と発展の時代でした。19世紀には産業革命がピークを迎え、ウェールズの経済は石炭と鉄鋼産業を中心に急速に発展しました。特に南ウェールズの炭鉱地帯は、世界有数の石炭生産地域となり、多くの労働者が集まりました。この経済成長に伴い、都市化が進み、カーディフやスウォンジーなどの都市が急速に拡大しました。

 

社会面では、労働者階級の台頭とともに労働運動が活発化し、ウェールズは労働党の強い支持基盤となりました。また19世紀以降、教育改革が進み、初等教育の普及により識字率が向上しました。ウェールズ語の復興運動やナショナリズムが高まり、ウェールズの文化とアイデンティティを守る動きが広がると共に、教育制度の改革も進みました。

 

文化面では、ウェールズ語と文化の復興運動が盛んになりました。ウェールズ語の新聞や文学が発展し、エイステズボッド(詩と音楽の祭典)が再び重要な文化行事として定着しました。20世紀初頭には、ウェールズ国民党(プライド・カムリ)が設立され、ウェールズの自治を求める動きが本格化しました。

 

20世紀後半には、ウェールズの政治的自治が進展し、1999年にはスコットランドに続いてウェールズ議会(National Assembly for Wales)が設立されました。これにより、ウェールズは教育や健康などの分野で独自の政策を実施する権限を持つようになりました。

 

近代ウェールズは、産業革命による経済発展、労働運動の活発化、文化復興運動、そして政治的自治の進展という多くの変革を経験しました。

 

1831年 メリディスの暴動

グラモーガンの炭鉱労働者が賃金引き下げに抗議して反乱を起こした。労働者たちは劣悪な労働条件に不満を持ち、抗議のために集結。暴動は迅速に鎮圧され、多くの労働者が逮捕された。

 

1839年 ニューポート蜂起

チャーティスト運動の一環として、政治改革と普遍的な男性参政権を求める労働者がニューポートで武装蜂起。兵舎を襲撃し、22人が殺され、指導者たちは逮捕されたが、この運動はその後の政治改革に影響を与えた。

 

1856年 ウェールズに初の鉄道開通

タフ・ヴェール鉄道の開通により、石炭や鉄鋼の輸送が効率化され、ウェールズの産業発展が加速。都市間の交通が大幅に改善し、経済活動の活性化に寄与した。

 

1868年 初のウェールズ語新聞『Y Faner』創刊

ウェールズ語で発行された最初の新聞であり、ウェールズ語と文化の維持に重要な役割を果たした。ウェールズ語話者に情報を提供し、文化的結束を強化。

 

1893年 ウェールズ初の大学設立

アベリストウィス大学が設立され、ウェールズの若者が地元で高等教育を受ける機会が増え、教育水準が向上。この大学の設立はウェールズにおける学問の発展と文化の維持に重要な役割を果たし、ウェールズのアイデンティティと地域社会の発展に寄与しました。また、ウェールズ語の研究と保存にも力を入れ、地域文化の振興に努めています。

 

1916年 サマール村の爆撃

第一次世界大戦中、ドイツの飛行船がウェールズのサマール村を爆撃。戦争が民間人にも直接的な影響を与え、多くの市民が犠牲になった。

 

1920年 カーディフがウェールズの首都に指定される

カーディフが正式にウェールズの首都として指定され、政治と経済の中心地となり、さらなる発展を遂げた。

 

1925年 プライド・カムリ(ウェールズ国民党)設立

ウェールズの独立と自治を求める政治運動としてプライド・カムリが設立。ウェールズ語と文化の保護を掲げ、地方自治の拡大を目指して活動。

 

1947年 国立ウェールズ博物館開館

カーディフに国立ウェールズ博物館が開館し、ウェールズの歴史、文化、自然科学に関する展示が行われるようになった。教育と文化の重要な拠点として機能。

 

1966年 アバーファン災害

アバーファン村で石炭の廃棄物が崩壊し、学校が埋まり、多くの子供が犠牲になった。産業の安全基準が見直されるきっかけとなった。

 

1967年 ウェールズ語法の制定

ウェールズ語が公的に認められ、その法的地位が強化された。教育や公共サービスでの使用が奨励され、文化的な復興が進んだ。

 

現代ウェールズ

現代のウェールズは、文化と経済の多様性を誇る地域として発展を続けています。観光業やサービス産業が主要な経済活動となり、ウェールズ語の復興と教育が進められています。

 

1999年 ウェールズ議会の設立

1999年、ウェールズに独自の議会が設立され、地方自治が強化されました。これにより、ウェールズは教育、健康、交通などの分野で独自の政策を実施する権限を持つようになりました。

 

2006年 政府のウェールズ・アセンブリ法

ウェールズ議会の権限を拡大するための法律が制定され、より多くの政策領域で独自の立法権が認められた。

 

2011年 ウェールズ議会の立法権強化

国民投票で賛成多数を受けて、ウェールズ議会は法律を制定する権限が大幅に強化された。これにより、ウェールズはさらに多くの政策分野で独自の立法を行うことが可能となった。

 

2014年 ウェールズ法

ウェールズ政府の財政自治を強化するための法律が制定され、所得税の一部をウェールズ政府が管理する権限が付与された。

 

2016年 ブレグジット投票

イギリスのEU離脱(ブレグジット)に関する国民投票で、ウェールズも他の地域と同様に投票を行い、全体としてはEU離脱が決定されたが、ウェールズ内でも意見は分かれた。

 

2017年 ウェールズ・アクト

ウェールズの政府構造と立法権限を再定義するための法律が制定され、セネッドの権限がさらに拡大された。

 

2019年 ウェールズ気候緊急事態宣言

ウェールズ議会が気候緊急事態を宣言し、環境保護と持続可能な開発に向けた取り組みを強化することを決定した。

 

2020年 COVID-19 パンデミックへの対応

ウェールズ政府は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対応するため、ロックダウンや公共衛生対策を実施し、医療体制の強化を図った。

 

2021年 ウェールズ選挙

ウェールズ議会選挙が行われ、労働党が多数を維持し、マーク・ドレイクフォードが第一大臣に再選された。

 

2022年 カーディフ大学の新キャンパス開設

カーディフ大学が新しいキャンパスを開設し、研究と教育のインフラを拡充。

 

ウェールズの歴史は、古代から現代に至るまで多くの変遷を経てきました。ローマ時代から中世の小王国時代、イングランドによる征服と併合、産業革命を経て、現在の地方自治の確立に至るまで、ウェールズは独自の文化とアイデンティティを守り続けてきました。ウェールズの豊かな歴史は、現代のウェールズの社会と文化に深い影響を与えています。