オスマン帝国が滅亡した理由とは?

権勢を誇ったオスマン帝国でしたが、17世紀からその威光は徐々に失われてゆき、20世紀に滅亡することになります。ここでは特に、18世紀以降のオスマン帝国が崩壊に向かっていく過程について簡単に解説しています。

 

 

ナショナリズムの高まり

ナポレオン戦争の影響などによりヨーロッパ各地でナショナリズムが高まると、多民族国家だったオスマン帝国内にも分裂が生まれ始めます。

 

オスマン帝国は各自の宗教や文化を寛容に受け入れる体制を取っていましたが、引き続き共存の道を探るよりも武力で弾圧する方針に転換しました。これで独立しようとする民族、特にギリシアと激しい戦争をしてヨーロッパの反感を買います。

 

ヨーロッパ各国はこれ以降、独立しようとする民族を支援する形でオスマン帝国の領土を奪おうと試みるようになります。ヨーロッパ諸国に対抗するために計画された、アジア初の成文憲法による改革も失敗に終わり、19世紀半ばのオスマン帝国は「瀕死の病人」と揶揄されるありさまでした。

 

青年トルコ革命

青年トルコ革命は停止されていたオスマン帝国憲法(ミドハト憲法)の復活を実現させた

 

20世紀初頭、すでにヨーロッパの領土をほとんど失ったオスマン帝国内では、専制君主に対する革命が起き、立憲君主制への転換が行われました。

 

この混乱に乗じてさらに領土の一部が他国に併合されたり、独立したりしました。その後に成立した青年トルコ政権が、反対派多数の世論を押し切って第一次世界大戦に参戦し敗戦した後、列強の干渉もあって帝国内は混迷を極めます。

 

ムスタファ・ケマルによる帝国崩壊


ムスタファ・ケマル(左図人物:1881〜1938)は第一次世界大戦中の英雄で、青年トルコ政権が国外逃亡した後の帝国内で指導的な立場につきました。

 

1922年にケマルが中心となってオスマン帝国の帝政の廃止を決定し、これによってオスマン帝国は消滅しました。その後にケマルが推し進めたトルコ革命によって、現在のトルコ共和国の基礎が据えられてゆくのです。