オスマン帝国が繁栄した理由とは?

オスマン帝国は主に15-17世紀に権勢を誇った、トルコ人の祖先を中心とした帝国で、最盛期にはアフリカからヨーロッパ全体にまで版図を広げました。その繁栄はオスマン帝国が持つ軍事力と政策に裏付けされています。

 

 

 

オスマン帝国の軍事力

武装したイェニチェリ。「ヤタアン」という片刃の刀剣をつけている。

 

オスマン帝国の始まりは、現在のトルコの地域で生活していた集団で、おそらくイスラム教徒の戦士たちの一団であったとされています。14世紀に帝国が頭角を現してきたときには、イェニチェリと呼ばれる常備歩兵と、スィパーヒーと呼ばれる騎兵の集団がオスマンの軍隊を構成していました。

 

イェニチェリは当時の最新鋭の火器を武器として使い、歩兵でありながら騎兵に対抗しうる戦力を備えていました。彼らはメヘテルと呼ばれる軍楽に合わせて行進し、バルカン半島をはじめとしたヨーロッパの国々を攻略してゆきました。

 

特に積極的な拡大政策がとられた15世紀ごろには海軍も増強され、オスマン帝国は当時の世界で最も軍事力をもつ国となったのです。

 

 

 

オスマン帝国の政策

強力な軍隊の運用も、それにふさわしい管理体制がなければ不可能ですが、最盛期のオスマン帝国では「古典オスマン体制」と呼ばれる高度な政治体制が機能していました。

 

この体制はイスラム法が根底にある中央集権型の機構で、勢力を拡大するにつれてさまざまな民族や文化や宗教を内包することになったオスマン帝国を、君主スルタンを中心にひとつにまとめることができていました。

 

被征服国の生まれであっても、能力のある者は官吏として出世することができたので、それも帝国の統一化に役立っていました。逆にオスマン帝国の勢力が陰りを見せ始めたのは、後宮の女性たちや宦官たちがスルタンの権威を侵食し、この体制の維持が難しくなっていったときでした。