古代ローマ剣闘士の歴史

 

剣闘士(ラテン語でグラディアトル、英語でグラディエーター)とは古代ローマ時代、闘技場にて同じ剣闘士や猛獣と戦っていた険奴のことです。当時にして剣闘士試合ほど刺激の強い娯楽は存在しないので、ローマ市民は剣闘士試合に熱狂しました。皇帝や元老院、地域の有力者など支配者層は民衆に見世物を提供し、支持を得たり、地位を高めるための場、つまりプロパガンダの場として利用するようになりました。

 

剣闘士の歴史

剣闘士試合とは、もともとは死者の霊を弔うために墓前で行われるエトルリア由来の追悼儀式でしたが、ローマに伝わると、市民の娯楽としての性格を強めていきました。ローマで最初の試合が行われたのは紀元前264年で、国家から提供される公的な見世物となったのは前105年の話です。80年には都市ローマに5万人もを収容できる円形闘技場コロッセウムが完成。ローマ帝国時代でも試合は盛んに行われ、初代皇帝アウグストゥス(在位:紀元前27年 - 14年)は在位中に8度も試合を主催しています。

 

ローマ社会において、「パンとサーカス」の「サーカス」の働きを大いに果たしてきた剣闘士試合ですが、やがて闘技に批判的なキリスト教の発展とともに衰退が始まり、コンスタンティヌス帝(在位:306年〜337年)のときに廃止されています。

 

剣闘士の反乱

剣闘士は戦争捕虜や奴隷からなっていたため、時には反乱も起きました。最も有名なのが紀元前73年から71年にかけて行われたスパルタクスの乱(第三次奴隷戦争)でしょう。およそ70人の剣闘士の脱走から始まった反乱が、12万人にも膨れ上がり、ローマの存続すら脅かしましたが、最終的には三頭政治の一角クラッススにより鎮圧されました。