ソ連崩壊は、経済停滞や民族独立運動、政治改革の失敗が重なり、連邦国家が分解した出来事である。1991年末にゴルバチョフ大統領が辞任し、正式に連邦は消滅した。本ページでは、さらに崩壊の経過や各共和国の動向などについても詳しく解説していく。

アフガニスタン侵攻がソ連崩壊への伏線か
1979年のアフガニスタン侵攻は長期的な軍事負担と国際的孤立を招き、ソ連経済と政治体制を弱体化させた。これは崩壊への遠因とされる。本ページでは、さらに侵攻の経緯や国際反応などについても詳しく解説していく。
アフガニスタンの親ソ政権を支援するため、ソ連が強行した「アフガニスタン侵攻 (1978年-1989年) 」はにおいて、ソ連は万単位の犠牲を払うも、結局はムジャヒディンと呼ばれる民兵の必死の抵抗で征服は困難を極め、長期戦の末に撤退しています。
アフガニスタン紛争においてソ連軍の捕虜となるムジェヒディン
「アフガニスタン侵攻がソ連崩壊の呼び水となった」といわれる理由は、西側諸国から強烈な経済制裁をくらった上、戦争の長期化で軍事支出が肥大し、国内経済の停滞を招いたからです。
経済的苦境に陥ったソ連は、もうかつてのように東欧の衛星国を繋ぎ止めておくことはできず、89年東欧革命で社会主義政権の崩壊・民主化ドミノを招き、その2年後の崩壊に繋がる、というわけですね。
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