名誉革命とは、1688〜89年に行われた革命で、王政復古によって即位したジェームズ2世を追放し、オランダから娘メアリと夫ウィレムを招聘、ジェームズ2世が追放されるまでに至る出来事です。
この革命後、ウィリアム3世、メアリー2世が共同で王位につくと同時に、国民の自由と権利を守る「権利の章典」が成文化され、イギリスに現在に続く立憲君主制が完成しました。
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名誉革命が「名誉」と呼ばれるのは、内乱、虐殺、処刑などが行われることもなく、無血による体制移行が達成されたためです。
イングランドへ向かうオランニェ公ウィレムの船団。ジェームズ2世は一戦も交えることもなく亡命したため、無血による体制移行が完了した。
内乱で多くの血が流れ、国王の処刑にまで至った清教徒革命と異なり、今革命では一滴の血も流れなかったのです。暴力革命や権力者の処刑や暗殺が当たり前だった時代にして、これは大変評価されることでした。
上述したように、無血で革命が達成されたことは名誉革命において大きなポイントです。これに加えて、もう一つ注目すべきなのは「権利の章典」の成文化です。
ジェームズ2世の娘メアリとオラニエ公ウィレムを即位させるときの条件として「権利の請願」(権の章典の成文化前のもの)の受託を議会は要求しました。
権利の章典の成立によって、議会の決定が王の権力に優先する立憲君主制が誕生し、国民の権利と自由が守られる、現代に続くイギリスの社会体制が完成しました。
イギリスの思想家ジョン・ロック(1632〜1704年)は、名誉革命後、著書『統治二論』(1690年出版)の中で「王権神授説」を否定し、権力に対する個人の優位性を説いています。
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