名誉革命はなぜ「名誉」?名前の由来を知ろう

名誉革命とは、1688〜89年に行われた革命で、王政復古によって即位したジェームズ2世を追放し、オランダから娘メアリと夫ウィレムを招聘、ジェームズ2世が追放されるまでに至る出来事です。

 

この革命後、ウィリアム3世、メアリー2世が共同で王位につくと同時に、国民の自由と権利を守る「権利の章典」が成文化され、イギリスに現在に続く立憲君主制が完成しました。

 

今回は、この名誉革命がなぜ「名誉」とよばれるのか、そしてこの革命の意義について簡潔に解説していきます。

 

 

なぜ「名誉」革命なのか?

どうして「名誉」革命という名称になったのか、理由は大きく2つあります。

 

1つ目は、無血でこの革命が達成されたことで、ジェームズ2世の退位までに、内乱、大虐殺、人権剥奪などの残虐な行為が起こらなかったという点の評価からです。

 

2つ目は、1つ目の理由とも重なるのですが、宗教及び、政治の意見を平和的に解決したことです。革命前の議会にはいくつかの派閥が存在し、宗教も異なりましたが、このような状況を踏まえた上で、国民の権利と自由を守るために、話し合いが行われたこと。そして、議会で一致団結して、国王を処刑せずに、権力から退かせました。暴力革命や権力者の処刑や暗殺が当たり前だった当時にしてこれは大変評価されることだったのです。

 

以上2点が「名誉」革命と言われる理由です。

 

名誉革命の社会的意義

上述したように、無血で革命が達成されたことは名誉革命において大きなポイントです。これに加えて、もう一つ注目すべきなのは「権利の章典」の成文化です。

 

これは、ジェームズ2世の娘メアリとオラニエ公ウィレムを即位させるときの条件として「権利の請願」(権の章典の成文化前のもの)の受託を議会は要求しました。

 

権利の章典の成立によって、議会の決定が王の権力に優先する立憲君主制が誕生し、国民の権利と自由が守られる社会体制が完成しました。

 

※イギリスの思想家ジョン・ロック(1632〜1704年)は、名誉革命後、著書『統治二論』(1690年出版)の中で「王権神授説」を否定し、権力に対する個人の優位性を説いています。