対外政策の方針として鎖国政策をとっていたのは、その軍国主義体制を維持するためです。他国のことを知り、自国の体制に疑義を呈する者が増えると、体制崩壊に繋がります。
またスパルタの体制というのは少数精鋭のスパルタ軍により、数の上では圧倒的多数の農奴を支配することで成り立っていたので、数百人程度の損害でも、国家存亡に繋がりかねません。鎖国政策というのは、他国との摩擦を極力なくし、無用な戦争で兵を失わないためでもありました。
スパルタの孤立主義と軍国主義は体制を維持するためのものだった。
スパルタというと、軍国主義=戦争好きというイメージがあるかもしれませんが、むしろ逆で、対外戦争はできるだけ避ける方針だったのです。ペルシア討伐を目的としたコリントス同盟(前337年)にスパルタだけ入らなかったのも、そういう背景があります。
しかし鎖国体制で犠牲にするものは少なくありませんでした。外国の金銀貨幣の輸入を禁止していたので、商業はまるで発展しませんでしたし、他国との文化交流を避けていたのでアテナイのように学問、芸術文化も育ちませんでした。
その両方で著しい発展がみられたのがローマであり、スパルタがしょせん「ギリシア世界限定の強国」に止まり、ローマのように世界帝国へ躍進できなかったのも、文化をないがしろにしていたことが一因にあります。
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