セルビアと日本の関係史

日本とセルビアの交流は明治時代にさかのぼります。1882年にセルビア国王ミラン1世が日本の明治天皇に書簡を出し、同年成立したセルビア王国の国王に即位したことを伝えたのです。そして明治天皇がこれに返書。新興国セルビアを国家として承認しています。この書簡のやり取りは日本で明治維新が起きて15年後のことだったので、日本もセルビアもお互いに近代国家としてスタートしたところでした。

 

 

 

ユーゴスラビアと日本の関係

1914年、セルビア人の青年がオーストリア大公を暗殺したことで、オーストリアがセルビアに宣戦布告。第一次世界大戦(1914〜1918)が勃発します。日本はセルビアと同じ連合国側として参戦し、戦勝国となっています。

 

第一次世界大戦終結後、セルビアを中心にした連邦国家、ユーゴスラビア王国が誕生。その20年後、第二次世界大戦がが勃発すると、連合国のユーゴスラビアは、枢軸国の日本に対して宣戦布告するなど敵対関係にありました。

 

しかし終戦後は、東欧諸国の中で最初に日本との国交を回復し、良好な関係を構築することができました。

 

ユーゴスラビア崩壊後の関係

第二次大戦中に多民族パルチザン運動を率いてナチス・ドイツと戦っていたチトーが大統領となって、バルカン半島諸国から構成されるユーゴスラビア社会主義連邦共和国(1943年 - 1992年)が成立します。セルビアはその盟主的存在でした。

 

冷戦時代末期になると、ソ連のペレストロイカを受け、ユーゴスラビア構成国も独立を志向し始めます。

 

しかしセルビアはそれを許さず、無理矢理支配下に留めようとしたので、ユーゴスラビア紛争(1991年〜1999年)に発展。ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボで多くの犠牲がでました。

 

この紛争を受けて、日本はユーゴスラビアに対する経済協力を一時停止していましたが、紛争終結後の2000年に経済支援を再開しています。

 

モンテネグロ分離後の関係

ユーゴスラビア紛争を経て、結局ユーゴスラビアの構成国はセルビアとモンテネグロだけになりました。そしてモンテネグロが2006年に離脱したことで、現在のセルビアの形になったのです。

 

その少し前の2003年に、日本政府は首都ベオグラードに93台のバス無償で贈り、これらのバスは現在でもベオグラード市内を走っています。

 

また2011年3月の東日本大震災の際に、セルビア政府は東欧諸国の中でも真っ先に日本支援を表明し、セルビア国民から多額の義援金が寄せられました。

 

今後の関係はどうなる?

現在EUに加盟していないセルビアは、2025年の加盟を目指して協議しています。2019年には日欧EPAが発効され、今後日本とセルビアの交流は加速するかもしれません。