イタリアの年表

 

イタリア(正式名称イタリア共和国)は南ヨーロッパに位置し、主な国土たるイタリア半島とその周辺のサルデーニャ島、シチリア島で構成された共和制国家です。地図でイタリアを探す時は、地中海に大きく突き出た長靴型の半島が目印です。首都はヨーロッパ文明の揺籃となった古代ローマ発祥の地ローマ。
変化に富んだ地形や気候を活かした多種多様な農作物の栽培が行われています。地中海性気候が支配的な南部ではブドウの栽培がさかんで、有数のワイン(葡萄酒)生産国としても知られます。アルプス山脈に近い冷涼な北部では酪農がさかんで、この地域で生産されるチーズは50種を超えます。
そんなイタリアは古代ローマ発祥の地として知られますが、あくまでイタリアは地中海世界全域に至る広大なローマ帝国の一部を成したに過ぎず、厳密にはイタリアの歴史=古代ローマの歴史ではありません。ローマ帝国崩壊後のイタリアは複数の自由都市や王領、教皇領などが分立する政治的まとまりのない地域で、今のような統一国家になったのは近代になってからです。バラバラの状態からなぜ統一に向かう動きが出てきたのか、どう統一を成し遂げのが。その要因と過程を知ることがイタリアの歴史を理解する上で重要といえます。そのためここでは古代ローマ時代の歴史はある程度割愛しつつ、ローマ帝国崩壊から、イタリア統一にいたる過程を出来るだけ詳しく年表形式でまとめています。

 

イタリアの歴史年表

 

 

先史時代

イタリア半島には旧石器時代から人が暮らしていました。前1700年頃に青銅器時代が始まり、ボローニャからタラントにかけてはアペニン文化、ポー平野からリグリア海岸にかけてポー文化などが栄えました。
古代
イタリアの起源は紀元前8世紀半ばに、現在のイタリア半島中部に成立した古代ローマにまで遡ります。ローマは周辺の民族や都市国家を服属させることで勢力を拡大し、前1世紀には地中海世界全域を支配するほどの大帝国に成長しました。古代ローマの統治下で発達した様々な文化が、現在のイタリア文化の基礎となりました。

 

※古代ローマ時代については、古代ローマ史の年表を別に作っているので、詳しくはそちらを参照してください。

 

前8世紀

シチリア島やイタリア半島南部に古代ギリシャ人の植民が開始され、シラクサ、タラント、ナポリといった現在のイタリア都市の基礎が成立します。これら古代ギリシャ人による生活圏はマグナ・グラエキアと呼ばれるようになりました。

 

紀元前753年古代ローマ建国

 

前7世紀

シチリア西部とサルデーニャ島にフェニキア人が移住。中部イタリアではエトルリア人が台頭します。そしてその南部・テベレ川下流に暮らしていたラテン人、サビニ人が、エトルリア人と交易の中で発展させた集落がローマの起源になりました。

 

前6世紀

はじめのうちはエトルリア人に服従していたローマ人ですが、前6世紀末にはエトルリア人の王を追放して共和政に移行しました。ローマはこの共和政のもとで、やがて地中海世界に覇を唱える超大国に成長していくことになります。

 

紀元前509年 古代ローマの共和政移行

 

前4世紀

前4世紀になると、北方からケルト人の侵入と略奪の被害を受けるようになります。しかしまもなく再建し、中部イタリアのエトルリア人を征服し、イタリア半島最大の勢力を持つ国となりました。

 

前3世紀

前3世紀になると、南イタリア方面に進出し、そこに根を張っていた古代ギリシャ植民地を征服。半島の大部分を支配下に収めました。さらに前3世紀末にはカルタゴとの覇権争い(ポエニ戦争)に勝利し、地中海の支配者として君臨しました。

 

前1世紀

前1世紀になるとローマと同盟市による内乱で政治的統一が揺らぎますが、それを制したカエサルが独裁的権力を振るうようになります。カエサルはその後、保守派の元老院議員に暗殺されますが、彼の後を継いだオクタウィアヌス(アウグストゥス)が内乱を収めて、元首政(帝政)を開始しました。

 

紀元前27年 古代ローマの帝政移行

 

2世紀

帝政開始からローマはパックス・ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれる繁栄を謳歌し、2世紀初めに史上最大の版図に達しました。この間、ヨーロッパ中にローマ法、キリスト教、ラテン語が広まっていき、ヨーロッパ文化の土台となりました。

 

4世紀

375年ゲルマン民族の大移動

375年になるとフン人の圧力により原住地を追われてきたゲルマン人が大移動を開始し(ゲルマン民族の大移動)、以後ローマ帝国領に侵入を繰り返すようになります。ローマは社会的混乱に陥り、急速に衰退していきました。

 

5世紀

476年 古代ローマ滅亡

4世紀以降、ゲルマン人の侵入により社会的混乱状態にあった西ローマ帝国が、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより皇帝が廃位に追い込まれついに滅亡。

 

中世

古代ローマ崩壊後のイタリア半島とその周辺地域には、複数の都市国家が分立するようになりました。そのうちの1つに、サヴォイア家の祖ウンベルト・ビアンカマーノが創始し、現フランス南東部サヴォイアを領土としたサヴォイア伯国があります。サヴォイア家は後にイタリア統一運動(リソルジメント)を主導し、イタリア王国を成立させることになりますので、サヴォイア伯国は古代ローマに次ぐイタリアの祖ともいえます。

 

5世紀

497年 東ゴート王国建国

イタリアに侵入したテオドリック率いる東ゴート族により東ゴート王国が建設されました。首都はラヴェンナ。ローマ人とゴート人に別の支配体系を当てはめる分離統治が敷かれていました。555年東ローマ帝国に攻め入られ滅亡。

 

6世紀

568年 ランゴバルド王国(ロンゴバルド王国)建国

北イタリアのロンバルディア地方に侵入したランゴバルド族により、ランゴバルド王国が建設されました。その後勢力を拡大し、ピーク時には中部イタリアから南イタリアまで支配しましたが、774年にフランク王国に征服され滅亡しました。

 

570年 ベネヴェント公国成立

イタリア半島南端部にランゴバルド系の公国ベネヴェント公国が成立。1077年にノルマン人に征服され、1130年にノルマン人により建てられたシチリア王国に併合されました。

 

7世紀

697年 ヴェネツィア共和国の成立

北イタリアのアドリア海岸の商業港を中心にヴェネツィア共和国が建設されました。東ローマ帝国、フランク王国との関係を構築し東西貿易で、中世を通して繁栄。1797年にナポレオンに占領され滅亡。

 

8世紀

 

752年 教皇領の成立

フランク王国のピピンが、ラベンナをローマ教皇に寄進したことで教皇領が成立。1929年にラテラノ条約によりバチカン市国となりました。

 

800年 カールの載冠

フランク王国の国王カール1世が、ローマ皇帝として戴冠をうけ「西ローマ帝国」が復活します。フランク王国は以後キリスト教世界の保護者と位置付けられるようになりました。

 

9世紀

831年 イスラムによるシチリア島征服

イタリア半島南部のシチリア島がイスラム勢力に征服される。その支配は11世紀にノルマン人に支配権を奪われるまで続いた。

 

843年 中フランク王国の成立

ヴェルダン条約の締結で、フランク王国が東フランク王国、西フランク王国、中フランク王国に分裂。このうち中フランク王国が870年のメルセン条約でイタリア王国となり、現イタリアのベースとなりました。

 

10世紀

962年 神聖ローマ帝国の成立

東フランク王オットー1世がローマ皇帝として戴冠したことで神聖ローマ帝国(のちのドイツ)が成立。北イタリアはその圧力を受けるようになった。

 

958年 アマルフィ公国成立

イタリア半島南部・ソレント半島南岸にアマルフィ公国が成立した。東ローマ帝国の宗主権のもと、ピサと肩を並べる海洋国家として繁栄。12世紀以降は衰退したが、現在は美しい海岸の見られるイタリア有数の保養地として知られる。

 

11世紀

 

1005年 ジェノヴァ共和国の成立

イタリア北西部・リグリア海の沿岸に海洋国家ジェノヴァ共和国が成立する。元は古代ローマの軍事基地だったが、中世以降は東方貿易で繁栄し、ヴェネツィアやピサと地中海の覇を争った。

 

1061年ノルマン人による南イタリア征服(〜91年)

ノルマンディー公国出身のノルマン人が南イタリアに侵入。ランゴバルド系の勢力を駆逐し、この地域を統一していった。

 

12世紀

 

1115年 フィレンツェ共和国の成立

イタリア中部にフィレンツェ共和国が成立。フィレンツェは、古代ローマ時代より交通の要地として栄え、中世以降は絹・毛織物工業でも繁栄した。13世紀以降、イタリアが教皇派と皇帝派で分裂すると、フィレンツェは教皇派の中心都市となった。

 

1130年 シチリア王国の成立

ノルマン人ヴァイキングによるシチリア征服後、シチリアとイタリア半島南部が統一されシチリア王国が誕生した。

 

1167年 ロンバルディア同盟の結成

北イタリアのロンバルディア諸都市で同盟を組み、服属を迫る神聖ローマ帝国に対抗した。盟主はミラノ。皇帝軍を二度撃破するなど成果を収め、都市の自治独立が確立された。

 

13世紀

 

1282年 ナポリ王国の成立

シチリア島、イタリア半島南部にまたがるシチリア王国が分裂。これによりナポリを中心とする半島側を領土とするナポリ王国が誕生した。

 

14世紀

1395年 ミラノ公国の成立

ビスコンティ家のジャン・ガレアッツォが神聖ローマ皇帝より公位を得たことで、ミラノ公国が成立。北イタリアのロンバルディア地方を支配下に置いた。

 

近世

15世紀

 

1416年 サヴォイア公国(後のサルデーニャ王国)の成立
サヴォイア伯アメデーオ8世が、神聖ローマ皇帝より公爵の位を与えられたことでサヴォイア公国が成立。公国は侵略や婚姻によりイタリア北西部にまで領土を拡大し、16世紀にはイタリアのピエモンテに拠点を移す。

 

1494年 イタリア戦争の開始(〜1559年)

神聖ローマ帝国のハプスブルク家とフランスのヴァロワ家がイタリアの利権をめぐり衝突するイタリア戦争が開始される。フランス・シャルル8世のイタリア侵入が発端となった。この戦争の結果、北イタリアからフランス勢力は一掃された。

 

16世紀

16世紀は15世紀末から始まったイタリアをめぐりフランスと神聖ローマ帝国との間で戦争が繰り広げられ、それに巻き込まれたイタリア都市国家の衰退をまねいた。

 

1527年 ローマ劫掠

神聖ローマ帝国とフランス王国がイタリアを巡り衝突を繰り返していた中、皇帝軍が教皇領のローマに侵攻し、略奪や殺戮を行なう事件が発生する。

 

近代

19世紀中期に、オーストリアやフランス支配からの解放運動が活発になり、サルデーニャ王国はその先頭に立つようになりました。そしてサルデーニャ王国はイタリア諸国を次々と併合していき、1861年についに国家統一を成し遂げたことでイタリア王国が成立しました。
イタリア王国は、王家や憲法、政治制度をサルデーニャ王国から受け継ぎましたが、国民の大部分(貧困層)は、統一事業から外されていたため、新しく適用されるルールを受け入れず反体制に傾く人が続出しました。その結果権力で労働者階級を無理矢理従わせる「ファシズム」が台頭するようになったのです。

 

1701年 スペイン継承戦争

スペイン継承戦争にオーストリア(ハプスブルク家)が勝利した結果、スペインに代わりオーストリアがイタリアに影響を及ぼすようになる。

 

1720年 サルデーニャ王国(後のイタリア王国)の成立

ロンドン条約の結果、サルデーニャ島がサヴォイア公国の領土に編入。同時にサヴォイア家が、サルデーニャ王の称号を手にしたことでサルデーニャ王国が成立しました。サルデーニャ王国はトリノを首都として、着実に国力を拡大していき、イタリアに影響力を行使していたフランスやオーストリアに圧力を加えるようになりました。

 

1796年 ナポレオン・ボナパルトによるイタリア遠征

フランス革命後に台頭したナポレオン・ボナパルトが、アルプスを超えてイタリアに侵入。オーストリア・サルデーニャ王国の連合軍がこれを迎え撃ったが敗れ、北イタリアの大部分をナポレオンに征服される。

 

※このナポレオン統治時代に、イタリアに自由・平等などの思想が持ち込まれ、のちのイタリア統一運動のきっかけとなりました。

 

19世紀

1814年ウィーン会議

ナポレオン戦争後の国際秩序を話し合うウィーン会議が開催される。この会議の中で北イタリアが再びオーストリアに帰属することが決定した。

 

1816年 両シチリア王国の成立

シチリア王国とナポリ王国が統合されたことにより両シチリア王国が成立。ブルボン家のフェルディナンド1世が国王として即位した。

 

1820年 ナポリ革命

両シチリア王国のナポリにて、ブルボン家の反動政策に不満を抱いた層が反乱を起こす。スペイン革命に刺激を受けたもの。オーストリアの介入があり最後には鎮圧された。

 

1821年 ピエモンテ革命

サルデーニャ王国トリノにて、立憲革命が勃発。民衆の意見が反映される議会の設置を求めた。最後には反革命主義のオーストリアが介入にでて鎮圧された。

 

1848年 1848年革命

フランスの二月革命をきっかけに、ヨーロッパ各地で革命運動(1848年革命)が引き起こされ、専制主義的なウィーン体制が崩壊した。イタリアでもサルデーニャ王国主導でミラノ、ヴェネツィアで反乱が起こり、イタリア統一運動およびイタリア独立戦争の引き金となった。

 

1859年 イタリア独立戦争の開始

イタリア統一運動の熱が高まる中、サルデーニャ王国が北イタリアを支配するオーストリア帝国を攻撃しイタリア独立戦争が開始される。

 

1861年 イタリア王国の成立

イタリア独立戦争の中でジュゼッペ・ガリバルディが南イタリアを征服し、イタリア半島の統一を成し遂げた。古代ローマ以来のイタリア統一国家イタリア王国が成立した。ただし一部はまだオーストリア支配だったため、「未回収のイタリア(イタリア・イレデンタ)」問題として尾を引くことになる。

 

1866年 ヴェネツィアがイタリア王国に併合

普墺戦争で戦勝国になったことにより、オーストリアに支配されていたヴェネツィアがイタリアに併合される。イタリア統一が完成に近づいた。

 

1871年 ローマがイタリア王国に併合

イタリア王国はローマ教皇領を占領し、首都をローマに移す。これによりイタリア統一がほぼ完成された。

 

1896年 第一次エチオピア戦争の勃発

イタリアが植民地支配を確立すべくエチオピアに軍事侵攻を開始(エチオピア戦争)。侵攻に二度行われ、一度目はウチアリ条約の解釈をめぐり対立したことが原因。結果はアドワの戦いで大敗したイタリア軍が撤兵したことで終結した。

 

20世紀前半

1911年 伊土戦争の勃発

イタリアによるオスマン帝国領リビアへの軍事侵攻をきっかけに伊土戦争が開始される。結果はイタリアの勝利となり、リビアはイタリア王国に併合された。

 

1914年 第一次世界大戦の開始

オーストリア皇太子暗殺事件をきっかけに第一次世界大戦が開始される。イタリアは「未回収のイタリア」問題を念頭に、オーストリアに敵対する連合国(協商国)側として参戦し、戦勝国となった。

 

1922年 ローマ進軍

第一次世界大戦後の不況の中、反革命勢力の支持を得たファシスト党のムッソリーニが、クーデターにより政権を奪取。反動的な国王もこのクーデターを容認した。

 

1929年 バチカン市国の成立

イタリア王国と教皇庁との間でラテラノ条約が結ばれバチカン市国が成立した。ローマ教皇庁とイタリア王国は、イタリア統一運動でイタリア軍が教皇支配下のローマを占領して以来対立を続けていたが、これをもって和解した。

 

1937年 日独伊防共協定の結成/国際連盟からの脱退

前年に日本とドイツの間で結ばれた日独防共協定にイタリアも参加し、日独伊防共協定が成立した。この三か国による共産勢力に関する情報共有、ソ連に対する軍事的なけん制を目的としていた。

 

1939年 第二次世界大戦の勃発

1939年にドイツのポーランド侵攻に端を発し、第二次世界大戦が勃発します。イタリアも40年6月に枢軸国勢力として参戦しましたが、第一次世界大戦による不況や、それによる軍の近代化の遅れもあり、戦況は悪化する一方でした。その結果、早々に連合軍に降伏することとなり、国内はファシスト勢力と連合国勢力に二分される内乱状態に突入しました。

 

1943年 バドリオ政権の誕生

戦況の悪化から内乱が起き、ムッソリーニが逮捕。無条件降伏に調印し、連合国側につく。ドイツ軍に解放されたムッソリーニによりイタリア社会共和国(サロ共和国)の成立

 

1945年 イタリア社会共和国の崩壊

ムッソリーニがパルチザンに拘束され処刑される。元首を失ったイタリア社会共和国も崩壊した。

 

現代

戦後はイタリア国内からファシスト勢力を一掃できたものの、国土は荒れ果て、多大な犠牲を払う結果となりました。このことで求心力を失った王家は、王制存続の是非を問う国民投票にかけられることとなり、僅差で廃止派が上回ったことで、1946年6月18日、現在に続くイタリア共和国が成立しました。

 

20世紀後半

1946年 王政の廃止と共和政への移行

戦後イタリア国王は、ファシストの独裁を容認し、第二次世界大戦で国土を荒廃させたことの責任が問われる。結果国民投票により王政の廃止が決定し、共和政に移行した。48年にはイタリア共和国憲法を施行した。

 

1948年 マーシャルプランの実施

アメリカの国務長官マーシャルの提案をきっかけに、戦争で荒廃したヨーロッパに対するアメリカの援助が開始される。この援助をきっかけにイタリアは「奇跡的復興」といわれる経済成長を遂げることになる。

 

1980年 ボローニャ中央駅爆弾テロ事件

イタリアのボローニャ中央駅にて爆破テロ事件が発生。85人が死亡、200人以上が負傷する。

 

1992年 第二共和政の開始

政財界の汚職、マフィアの摘発などが続き、政財界の大変革が行われた。イタリアではこの変革以降の政体を第二共和政と呼ぶ。